方法はまず日本と台湾を含む中国の蔵書目録・蔵書カードを対比し、中国になく日本にある明医書、また疑わしき書を抽出した。さらに蔵書数が多い内閣文庫(内閣)・宮内庁(宮内)・杏雨書屋(杏雨)・龍谷大学図書館(龍谷)・京都大学図書館(京大)・尊経閣文庫(尊経)・国会図書館(国会)・大阪府立図書館石崎文庫(石崎)などで実地調査し、貴重と判断された書は必要部分を複写した。九州大学医学図書館(九大)と東北大学図書館(東北)は目録調査のみ行った。
つぎに目録上で書誌事項が同一か近似した中国蔵書につき、許可を得られた上海中医薬大学図書館・上海市中医文献館・南京図書館・南京中医薬大学図書館・重慶市図書館・北京図書館・北京大学図書館・中国中医研究院図書館にて実地調査し、日本の調査結果と照合して佚存書の是非を判断した。現地で判断不能な書については必要部分を複写し、帰国後に日本の図書館で再度調査して佚存書の是非を判断した。この調査資料に基づき、佚存の明医書について著者・成立年代・出版筆写年代の解明、および日本における伝承経緯について考察を行った。
佚存明医書の 伝存形態は半数強が明刊本、ついで江戸写本・江戸刊本で、それらだけで90%以上を占めていた。江戸時代に多量に輸入され た清刊本に佚存明医書が少ないのは、佚存明医書が明代の刊行 後、清代でほとんど復刻されなかったためと考えられた。他方、 中国で価値が認められず失われてしまうような明刊本・明写本・ 清刊本・清写本が、日本には104点も伝承する史実も知られた。 江戸時代ではそれらの価値が認められて筆写や復刻されたため、 江戸写本・江戸刊本としても78点が現存していた。
これらが日本に伝承された背景を分析するため、圧倒的多数を所蔵する内閣文庫本の来歴を伝存形態別に表2に示した。
内閣文庫の佚存明医書は 154点あり、うち幕府の江戸医学館旧蔵書が過半数を占めていた。幕府の紅葉山文庫と同文庫に献納された毛利高標の旧蔵書がこれに次ぎ、それらで佚存明医書ほぼ全体を形成している。幕府機関の蒐集と保存なくして、かくも多量の佚存明医書はありえなかった。なお紅葉山文庫と毛利高標の旧蔵書は明刊本が主だが、江戸医学館旧蔵書は明刊本以上に江戸写本が多く、医学館旧蔵だけで江戸写本のほぼすべてを占める。それら写本には医学館を主宰した多紀元簡・元胤・元堅ら父子の手跋が少なからずあり、彼らがきわめて積極的に筆写・蒐集したことを物語っている。内閣文庫につぐ宮内庁書陵部所蔵の佚存明医書10点中にも多紀氏旧蔵書が 4点あり、佚存中国医書の過半は多紀氏の功績によっていた。
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