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真柳誠「江戸のもぐさ屋−団十郎艾−」『日本医史学雑誌』51巻1号表紙絵、表1(絵)と2頁(解説)、2005年3月

江戸のもぐさ屋−団十郎艾−


 もぐさには、予め撚って粒に切った切艾(きりもぐさ)と、加工していない散艾(ちらしもぐさ)がある。江戸時代、切艾は団十郎艾が有名ブランドだった。

 菊岡沾凉の『近代世事談』(1734刊)にこうある。「団十郎艾、元禄のはじめ、神田鍛冶町箱根屋庄兵衛といふ者、箱根の湯泉晒と称して切艾を製す。看 板あるひは艾の印に三ツ角の紋を付る。これ市川団十郎という芝居役者の紋なり。此切艾の製よろしとて江戸中に流布す。是を倣ひ所々に切艾の製あり。庄兵衛 が印を模して、おのおの三ツ角の紋を付て、三升屋何某、市川屋何某などゝ名を付てこれを売るなり。団十郎がはじめたるにあらず」、と。

 三ツ角は升目を三重に囲った紋で、三升紋ともいう。江戸では笹屋と三升屋が切艾で繁盛していた。笹屋はもぐさ売り姿の団十郎人形を店頭に飾り、江戸名物だったという。笹屋が安永年間に廃絶した後は、三升屋がやはり団十郎人形を店頭に飾って有名だった。

 表紙絵は『此花』(1777刊)に載る図で、店先に座るのがもぐさ売り姿の団十郎人形、暖簾に「御江戸/とをりはたご(通旅籠)町/本三升屋/平右衛門 /製」、掛看板に「くんさい(薫斎か)薬きう(灸)」、箱看板に「大でんま(伝馬)丁(町)能(の)三丁目/とをりはたご町/本三升屋平右衛門」「回陽堂 /正製御薬切艾元祖/永持道意製」とあり、三升中に艾の字をデザインした紋が瓦と箱看板に見える。
図は松宮三郎『江戸の看板』(1959、東峰書院)より。
(真柳誠)