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眞柳誠「李建民氏報告「督脈起源的考古證據」について」『中國出土資料學會報』14號2頁、2000年7月

中央研究院歴史語言研究所助研究員 李建民氏報告「督脈起源的考古證據」について

茨城大學 眞柳誠
【前言】(司會:平勢隆郎)

 李建民氏の發表については、事前に適切な人材を司會にお願いするにいたらず、私が形だけの司會をつとめさせていただいた。本来司會を擔當した者、もしくは發表者が、内容をまとめて書くのが筋であるが、くだんの事情で私には大變荷の重い作業となった。ところが、幸いにも、當日の不參加が心配されていた眞柳誠氏が、ご參加くださり、かつ發表後に貴重なご意見をくださった。そこで、それを以下にご紹介したい。上に眞柳氏の名前を擧げたのはそのためである。なお、當日は當方面に關心ある參會者や李氏の發表内容を中國語で聞き取れる方が少なかったと思われ、その意味からは、気をきかせて眞柳氏に通譯を交替したり、通譯に適宜アドバイスしていただくなどの方策をとるべきだったかと反省している。

【本文】(眞柳)

 1 四川出土の人形體表に描かれた線のうち背中の正中線に注目し、そうした血管は人體にないので、1〜2世紀に原形が成立した『素問』『靈樞』にある經脈説でいう督脈しかこれに該當する概念はないと判斷したこと。これは妥當な解釋といえる。とするなら他の線も經脈と考えられ、かつて98年3月14日の當研究會で松本きか氏が、當人形體表の線などから經脈の初期概念は血管とした假説への一反證ともいえる。

 2 一方、馬繼興氏ら大陸の研究者は馬王堆出土の『陰陽十一脈灸經』等と關連させ、それを遡る經脈説の資料として當人形の線を考えていた。しかし李氏は、馬王堆文獻は臓腑概念と對應可能な經脈(後世のいわゆる正經)しかないのに、人形には臓腑と無關係な後世のいわゆる奇經とされる督脈がある點に着目。とすれば經脈概念の發展ないし變遷は一線上のものではなく、錯綜した經緯で『素問』『靈樞』に集成されたと反論したこと。つまり人形の線は馬王堆文獻の經脈概念とは途中が別ルートであり、兩者の系統が後に『素問』『靈樞』に集成されたのだろうとしたこと。さらに別ルートを形成させた督脈の起源を、導引術あるいは房中術にある類似概念に求めたこと。これらも妥當性が高く、魅惑的な解釋と思える。

 以上は彼の發表稿の言葉の裏に潜めた意圖も含めており、かなり私(眞柳)なりの解釋も混在している。ただ以前の論者は人形の線全體を如何に解釋するかに苦心していたのに對し、李氏はその一本である背中の正中線に着眼し、それから論を進めてかなり説得力のある全體解釋をしたこと、さらに督脈あるいは奇經の概念の魅惑的起源説を提起したことが評價できると思える。