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真柳誠「巻頭言 古医籍の調査保存と研究」『漢方の臨床』47巻10号1409頁(2000年10月)


古医籍の調査保存と研究

茨城大学教授  真柳 誠

 ちょうど五年前の今頃、北京で開かれたWHO伝統医学研究協力センター会議に大塚恭男先生の代理で出席したことがある。その最終日に各国政府に対する勧告文をとりまとめることになったが、たたき台の案は科学的再評価の促進が中心で、伝統医学の本質に関わる内容は各国事情の相違のため皆無だった。

 そこで根回しなしだったが、伝統医学というなら過去の経験も重視すべきであり、その記録文献の調査保存と研究を支援すべき、という条項を設けるべきだと提案してみた。英文に作成する必要上議長を務めたアメリカ代表は、医療衛生事業への勧告には不適当と難色を示した。が、これにインド代表が強く反論して私の案を支持、ついで中国の代表も支持を表明し、けっきょく採択されることになった。インド代表とコーヒーブレイクのとき、アジアの勝利だね、彼らの眼中に古医籍はないからね、と握手したものだった。

 しかし強制力のないWHO勧告、さらに古医籍の保存研究などは絵に描いた餅にもならない。やはり個々の機関や担当者が地道に努力を重ねるしかないのは当然だろう。いま私は台湾に長期滞在して台北故宮博物院所蔵古医籍を調査しているが、これは江戸後期に行われた調査保存と研究の再発見でもあった。

 故宮所蔵古医籍は約九百件あり、うち『四庫全書』本を除いた大多数が明治前期に来日した清国の学者・楊守敬の旧蔵書、ということは以前から知られていた。ところが今回の長期調査で、かつて思いもしなかったことが見えてきたのである。守敬所蔵医書の九割以上は来日時の購入書だったこと、日本で購入した医書の七、八割は幕府医官の小島尚質(宝素)・尚真・尚絅の蔵書だったこと、この小島父子は大変な努力と金銭をはらい、中国・日本の多量な貴重医書を調査蒐集し、研究していたこと等々。森鴎外の『小嶋宝素』伝にそうしたことは数行記されるにすぎない。鴎外が当伝記を著す三十数年前、小島家の蔵書は中国に渡っていたのだから無理もない。

 幕末最大の古医籍蔵書は多紀家江戸医学館にあり、ほぼ全体が現在の内閣文庫に伝承されている。一方、国内に残った他の蔵書家の書はほとんど四散したのに、却って海外に流出した小島家の蔵書が一括して台北故宮で手厚く保存されていたのだった。

 将来にわたる伝統医学の継承には、基盤たる古医籍の調査保存と研究がやはり不可欠、という思いを強くしている。

(医博:〒310-8512 水戸市文京2-1-1 茨城大学人文学部)