真柳 誠(茨城大学/北里研究所東洋医学総合研究所)
本方は創方された中国でほんとんど用いられないが、日本では比較的よく使用される。その契機は矢数道明先生らの師事した森道伯氏が、三大体質のひとつとしたオ血証体質に本方を応用したことに始まる。のち森氏一貫堂門下をはじめとして、昭和以降から広く用いられるようになった。
その出典は{龍+共}廷賢『万病回春』(1587)巻8の折傷門、とかつて理解されていた。しかし、{龍+共}廷賢が父{龍+共}信の資料を編纂・増補した『古今医鑑』(1567)巻16の折傷門にも、本方が載ることを小山氏は近年報告している(『エキス剤漢方方剤学』)。さらに氏は唐代の作という『理傷続断方』に載る大成湯が同一薬味なので、それを{龍+共}廷賢が通導散に改名したと断じる。だが『理傷続断方』は唐代に仮託した後世の作なので、やはり出典は『古今医鑑』折傷門とすべきだろう。
ところで{龍+共}廷賢は「通導」の語彙について何も述べていない。『大漢和辞典』など大きな辞典にも載らず、十三経や他の上古文献にも見えない。二十五史でも『旧唐書』と『宋史』に計8回の記載だけなので、どうやら唐宋代にごく一部で使われた言葉らしい。
一方、現存医薬文献のデータベースを検索したところ、やはり初唐の『太素』巻12営衛気行の楊上善注に、1回だけ「営衛の気を通導」とあるのが初出だった。以後、宋代では12世紀初の『聖済総録』巻54・130・134に各々、「大小便を通導」「風熱を疏滌し、通導して之を去る」「通導して其の気を泄す」とあるのみ。
元代の用例では唯一、王好古が13世紀中葉の『此事難知』巻3の「痛は利に随い減ず」で、通導の義を次のように説明していた。「利の字を下すだけに解釈すべきではない。利は通、あるいは導と訓じるべきだ。…汗で通導しても利、下して通導しても利なのである」。
通導は本来の字義からすれば、「通し導く」になる。それを「利」の訓詁とした王好古の説明はユニークだったのだろう。これ以降の明清代では当説を引用したりして、通導や通導法の表現が医書に増加してくる。おそらく本方も、好古の当説に因む命名ではなかろうか。