真柳 誠(茨城大学/北里研究所東洋医学総合研究所)
本方の出典は『金匱要略』血痺虚労病篇で、主治条文は「虚労、虚煩、眠るを得ず、酸棗湯これを主どる」と記される。つまり本来の方名は酸棗湯で、のち酸棗仁湯と呼ばれた。構成薬は同書に酸棗仁・甘草・知母・茯苓・{艸+弓}{艸+窮}(川{艸+弓})の5味が記され、これに北宋11世紀の林億らは「深師に生薑二両あり」と注記する。「深師」とは、『深師方』や『僧深方』と略称される5世紀末の『僧深薬(集)方』30巻のことである。
実際、唐代752年の『外台秘要方』巻17には生薑の増えた6味の深師小酸棗湯があり、類似条文が記される。当方名が「小酸棗湯」であることは、小柴胡湯などと同系の命名で興味深い。また、わが国984年の『医心方』巻13も『僧深方』から小酸棗湯を引用し、『外台』と類似した条文を記す。ただし構成薬は干薑の増えた6味で、『外台』所引文の生薑と異なる。
さらに『外台』巻2には干薑と麦門冬が増えた7味の酸棗湯が『深師方』から引かれ、小酸棗湯とやや異なる条文が記される。これと同一薬味で類似条文の酸棗湯は、7世紀(?)の『千金翼方』巻18にも載る。一方、『千金翼方』の同巻には「大酸棗湯」が載り、これは『金匱』の酸棗湯から知母を去り、生薑・人参・桂心(桂皮)が加わった7味からなる。このように『金匱』の酸棗湯以降、唐代までに同類薬味・方名・条文の処方がいくつか開発されていた。
ところで酸棗仁湯は、『金匱』と同じ仲景医書の『傷寒論』や『金匱玉函経』に載らない。そればかりか、全仲景処方の中で酸棗仁が配剤されるのは、ただ本方しかない。他方、基原植物が酸棗仁と変種関係にある大棗は数多くの仲景処方に配剤され、とりわけ際だった対照をみせる。
酸棗は後漢1〜2世紀の『神農本草経』に上薬として収載されるが、不眠への効果は記されない。それが記されるのは仲景以降4〜5世紀頃の『名医別録』からである。すると酸棗仁湯は仲景以降の処方で、のち『金匱』に混入した可能性を疑えないでもないが、まだ確証に欠ける推測というしかないだろう。