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真柳誠「漢方一話  処方名のいわれ84−治打撲一方」『漢方医学』24巻3号138頁2000年5月

治打撲一方(チダボクイッポウ)

真柳 誠(茨城大学/北里研究所東洋医学総合研究所)

 本方は打撲等による諸症を治すので治打撲一方と命名されたに相違ないが、命名者が誰かはよく分かっていない。ただし浅田宗伯(1815-1894)の『勿誤薬室方函口訣』に、「治打撲一方 香川」と著録されるため、出典は一般に香川修庵(1683-1755)の経験方とされる。ところが小山誠次氏の『エキス漢方方剤学』によると、修庵の『一本堂医事説約』打撲の項に本処方は載るが、治打撲一方の名は記されていないという。

 もとより同薬味の処方は中国書に見えず、とりわけ本方薬味中の樸{木+(嗽−口)}と川骨が中国で処方に配剤されることはまずない。しかし日本では華岡青洲(1760-1835)の十味敗毒湯にも樸{木+(嗽−口)}があり、川骨を配剤した家伝薬もある。そもそも川骨というのは日本で与えた名で、中国では萍蓬という。本方は日本の創方に間違いない。

 一方、治打撲一方の名は修庵以降、宗伯以前に与えられたと思われる。なぜなら唐代までの中国では方名のない処方が多く、それらは「治(療、主)……方」と古くから呼ばれていた。しかし「治……一方」と記すのは、筆者の管見範囲ではどうも中国書に見当たらない。他方、日本では本方以外にも治頭瘡一方などが、本朝経験方として用いられてきたからである。

 しかも『勿誤薬室方函口訣』をみると、「治……一方」という処方が計13首もある。その大多数は出典に日本人名を挙げるが、中国書を挙げるのは「治吐乳一方 幼々新書」等の2首に過ぎない。そこで治吐乳一方を『幼幼新書』にあたったところ、巻27の吐逆第1に『荘氏家伝』から引用される治吐{女+乃}方が該当していた。つまり『幼幼新書』の「治吐{女+乃}方」が、『勿誤薬室方函口訣』では「治吐乳一方」に変化していたのである。

 以上の諸点から推すと、『勿誤薬室方函口訣』に13首もある「治……一方」という処方は、多くが浅田宗伯の命名ではなかろうか。そして治打撲一方も。ともあれ本処方名に限るなら、出典は『勿誤薬室方函口訣』としておくのが妥当かも知れない。