本方は南宋1253年の『厳氏済生方』が出典で、当帰・地黄・芍薬・川{艸+弓}・防風・黄耆・荊芥・甘草・{艸+疾}藜子・何首烏の10味からなる。前の4味が四物湯なので、それに後の6味を加えた加味方といえよう。
これに当帰飲子と命名したのは、当帰を主薬と考えているのに相違ない。飲子とは煎剤と同じ剤形のことだが、あえて飲子と呼ぶ所以は本連載の61と64に述べたので参照されたい。
当帰飲子は中国医方書で『厳氏済生方』以外に、明の『丹渓心法』『外科正宗』『景岳全書』などにも載るが、『厳氏済生方』のが最も早いので当書を出典とする。なお同名異方の当帰飲子もあり、宋の『太平聖恵方』や明の『証治準縄』にそれぞれ別方が載る。
さて本方は『厳氏済生方』巻6の瘡疥論治に以下のように記される。
当帰飲子は、心血が凝滞して風熱が内に蘊蓄し、皮膚に発現した全身の瘡疥、腫れ、痒み、ジクジクした膿、赤い発疹、吹き出ものを治す。以上のように原典では生姜を加えて煎じるが、江戸以降の日本では生姜を加えないのが普通となっている。本方の適応病態の基盤のひとつに血の虚熱があるので、それを悪化させないため生姜を使用しないようになったのかも知れない。
処方は根茎を除いた当帰、白芍薬、川{艸+弓}、洗った生地黄、炒って尖刺を除いた{艸+疾}藜子、根茎を除いた防風、荊芥穂の各1両、何首烏、根茎を除いた黄耆、炙った甘草の各半両からなる。
これらを細かく刻み、4銭を服用のたびに水1椀半と生姜5片で八分目まで煎じ、滓を除き、時間にこだわらず温服する。
ちなみに出典の『厳氏済生方』は中国でほとんど散佚状態にあったため、近代になって江戸の和刻本が還流するまで一般に普及してはいなかった。こうした背景のためか本方は現中国でほとんど用いられず、他にも同様の背景がある処方は少なくない。歴史というのは、しばしば面白い側面を見せてくれるものである。