抑肝散については本連載ですでに紹介があるが、処方のルーツは中国明代の医書にあった。その加味方で現在、最も広く用いられているのが抑肝散加陳皮半夏である。
本方はその名のごとく、抑肝散に陳皮・半夏を加えたもの。方意は抑肝散に二陳湯を合方し、生薑を除いたことになろう。この加味は日本で開発されたらしいが、創方者を正確に特定できないので、本朝経験方と呼ぶ。本朝とは中国に対して言う日本のことで、『本朝経験』という書が出典という意味ではない。
本方の応用は江戸時代に始まり、早い記述は浅井南溟(1743〜81)の作とされる『浅井腹診録』にみえる。その文章が矢数道明先生の『臨床応用漢方処方解説』に引用されているので、以下に現代語訳してみよう。
「臍の左側付近からみぞおち付近にかけて強く動悸するのは、肝が虚した上に痰飲と火熱が盛んになっているからである。この証の患者数百人を、北山人は抑肝散加陳皮半夏で治した。陳皮は中程度、半夏は多めに用いる。この秘訣は一子相伝で、他に漏らしてはならない」。
以上のように、本方は北山人という人の開発らしいが、それが誰かは確証がなく、それで本朝経験方と呼ぶしかない。ただし、道明先生は『北山友松子医案』に二陳湯を加味した治験が多いことから、北山人とは北山友松子(?〜1701)らしいと推測されている。
なお『浅井腹診録』に記録された本方の口訣が注目され、さらに応用が広まったのは昭和以降のことだった。大塚敬節・矢数道明・清水藤太郎各先生の『漢方診療医典』、敬節先生の『症候による漢方治療の実際』、そして道明先生の『臨床応用漢方処方解説』に次々と収載され、適用症状がより一層明確になったからである。
抑肝散のルーツは明代にあった。しかし、抑肝散加陳皮半夏の加味方は江戸時代に始まり、昭和時代から広く使用されるようになったのである。