真柳 誠(茨城大学/北里研究所東医研)
本処方は文字通り柴胡を主薬とし、肝の熱を清ますという意味で柴胡清肝湯と名付けられている。この方名あるいは類以した名の処方は、中国の明代16世紀以降の医書に10種類近く発見できる。しかし現在の日本で用いられている本方は、それら中国処方を基礎にするが、日本で独自に創方されたものである。
創方者は日本の漢方医学が最も暗黒の時代にあった明治後期から昭和の初期に活躍し、伝統の継承に尽力された森道伯先生である。森先生はかつて師事した産科の名医・遊佐大蓁が遊佐一貫堂と称したのに因み、自らも一貫堂療院の看板を掲げていた。この一貫堂で森先生が創方し応用した処方を、一般に一貫堂方あるいは一貫堂経験方などと呼ぶ。
本方の書物における記載は、昭和8年に出版された『一貫堂医学大綱』で世に知られたのが最初かもしれない。本書は昭和39年に『漢方一貫堂医学』として増訂出版されたので、今はこの書を柴胡清肝湯の出典とすることが多い。
本方は15味からなる。うち黄連・黄{艸+今}・黄柏・山梔子の4味は黄連解毒湯で、8世紀の『外台秘要方』に7世紀の『崔氏方』から引用される。また16世紀の『万病回春』には、さらに柴胡と連翹が加わった6味の黄連解毒湯がある。
一方、本方の当帰・川{艸+弓}・芍薬・地黄の4味は四物湯で、北宋代12世紀初の『和剤局方』第一版で収載された。ところで『万病回春』には四物湯に4味の黄連解毒湯を合方し、温清飲と名付けられた処方もある。この温清飲に柴胡と連翹の加わった10味を一貫堂では四物黄連解毒湯といい、さらに{木+舌}楼根・桔梗・牛蒡子・薄荷・甘草の5味を加えて柴胡清肝湯と呼んだ背景には、明代医書の各種清肝湯類がある。
ただしこれらルーツ的処方が8味から12味で、各々薬量も多く作用が強いのに対し、本方は15味で薬量が少なく、おだやかな処方になっている。しかも本方の適応症はルーツ的文献に一切ない。まさに森道伯先生の創見であろう。