真柳 誠(茨城大学/北里研究所東医研)
甘草は漢方処方に最も多く配剤され、処方の基本骨格を形成する薬物といえよう。3世紀の張仲景が原本を著したとされる『傷寒論』『金匱玉函経』『金匱要略』の処方でも、大多数に甘草が配剤されている。本処方も『傷寒論』と『金匱玉函経』が出典だが、『金匱要略』には同一薬味の千金翼・炙甘草湯と外台・炙甘草湯も記載される。さらに『傷寒論』『金匱要略』には、一名を復脈湯というと付記される。
さて本方は炙甘草・生姜・人参・生地黄・桂枝・阿膠・麦門冬・麻子仁・大棗の9味からなり、方名は炙甘草を主薬とすることから命名されたらしい。一方、『傷寒論』『金匱玉函経』には甘草湯、『金匱要略』には千金・甘草湯があり、いずれも炙っていない生甘草の1味だけからなる。この甘草湯と区別するため、本方はあえて炙甘草湯というのだろう。
というのも、ふつう処方に主薬名で命名するとき、その修治法まで記すことはそう多くない。張仲景の処方でこうした区別がなされているのは、ほかに生姜○○湯と乾姜○○湯ぐらいだろう。それだけ仲景は生甘草と炙甘草の薬能が違うと考えていたともいわれ、その相違を強調する説は後世に多い。
しかし『傷寒論』では大多数の処方に炙甘草を配剤し、生甘草なのは甘草湯を含め5首しかない。他方、『金匱要略』では多くに生甘草を配剤し、同一処方でも『傷寒論』で炙甘草、『金匱要略』で生甘草と相違する例すらある。また本草書等で甘草を炙ることをいうのは、5〜6世紀からようやく始まる。
すると『傷寒論』と『金匱要略』における甘草の炙と生の相違は、北宋時代の1065年と1066年、両書が各々はじめて校訂・刊行されたとき生じた可能性もあろう。仲景がどれほど生甘草と炙甘草の相違を意識していたかは、いささか疑わしいのである。