←戻る
真柳誠「漢方一話  処方名のいわれ55−桂枝加芍薬湯」『漢方診療』16巻5号20頁、1997年10月

漢方一話  処方名のいわれ55 桂枝加芍薬湯

真柳  誠(茨城大学/北里研究所東医研)


 漢代3世紀の張仲景が原本を著したとされる『傷寒論』『金匱玉函経』『金匱要略』には多くの桂枝湯加減方がある。本方もその一つで、『傷寒論』と『金匱玉函経』が出典。桂枝湯と同じ桂枝・甘草・芍薬・生薑・大棗の5味からなるが、桂枝湯が芍薬3両なのに本方では6両が配剤されている。つまり芍薬を倍量にしたから桂枝加芍薬湯というのであり、それゆえ『金匱玉函経』は桂枝倍加芍薬湯の名でも記す。

 条文には「発汗剤を使うべきとき医者が下剤を誤用したため、腹満して時に痛むようにになった。これは桂枝加芍薬湯で治す」と記される。虚証の発汗剤たる桂枝湯の芍薬を倍量にしただけで、腹満と腹痛を治すように変化するのだから、加芍薬の意味は大きい。これは1〜2世紀頃の『神農本草経』芍薬条に、「腹痛を治し、血痺を除き、堅積・寒熱・疝葭を破り、痛みを止める」と記されるのと、ぴったり合致する。

 ところで、芍薬には栽培品の根皮を除去した白芍薬と、野生品をそのまま使う赤芍薬がある。両者の区別はすでに5世紀末からあり、唐代に一般化した。宋代11世紀には肥大した栽培品が不適といわれ、浅田宗伯も肥料を施さないものがいいという。『傷寒論』の時代に栽培が始まっていなかったことを考えるなら、今の赤芍薬を使うのも案外いいかも知れない。

 なお古くは勺薬と記され、前11〜7世紀の『毛詩』では性愛のシンボルとされている。すると媒妁の妁や婚約の約のように、男女を結ぶ薬ということで勺薬の名が生まれたらしい。ただし、それはクログワイの塊茎だったという。クログワイに香味はないが、漢代になると肉料理などの香料に芍藥が使用されるので、当時すでに今のシャクヤクが勺薬と呼ばれるように変化していたのだろう。古代の名と物は今と違うことが多く、まったくややこしい。