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真柳誠「漢方一話  処方名のいわれ53−清上防風湯」『漢方診療』16巻3号23頁、1997年6月

漢方一話  処方名のいわれ53 清上防風湯

真柳  誠(茨城大学/北里研究所東医研)


 清上防風湯は明代の『万病回春』巻5の面病門が出典である。その冒頭に「面に生ずる瘡は上焦の火也。清上防風湯は上焦の火を清し、頭面に瘡節風熱の毒が生ずるを治す」と記され、防風を最初に荊芥・連翹・梔子・黄連・黄{艸+今}・薄荷・川{艸+弓}・白{艸+止}・桔梗・枳殻・甘草の計12味が配される。うち荊芥・連翹・梔子・黄連・黄{艸+今}・薄荷・甘草には、消炎的に熱を清す作用があるとされる。したがって清上防風湯とは、上焦にある火熱の毒を清して顔面の瘡を治す、防風が主薬の湯剤、の意味で命名されたと理解できよう。

 なお「清上」がつく処方には、『万病回春』の清上明目丸、『寿世保元』の清上{益+蜀}痛湯、『赤水玄珠』の清上丸、『蘭室秘蔵』の清上瀉火湯、『証治準縄』の清上消鬱湯・清上於血湯などがある。いずれも金以降の創方で、とりわけ明代に多いことは注目される。

 本方出典の『万病回春』や、上述の『寿世保元』は明の太医・{龍+共}廷賢(およそ1539〜1632)の作で、それぞれ1587年と1615年に著された。この『万病回春』は江戸前期に集中的に和刻が重ねられ、日本に広く受容されている。そのため現日本の常用処方には、『傷寒論』『金匱要略』の仲景医方に次ぎ『万病回春』を出典とする処方が多い。これからも本書が日本に与えた影響の大きさを知ることができる。

 ところで本方の主薬たる防風はなぜか仲景医方に配剤されない。一方、前2世紀の墓から出土した『五十二病方』『養生方』は「方(房)風」、1世紀の墓から出土した『武威漢代医簡』も「方風」の字で記す。つまり古くは「方風」が一般的だったらしいが、のち1〜2世紀頃の『神農本草経』で初めて「防風…。治大風…」と記載されたため、明の『本草綱目』は「風を防御するから防風なのだ」という。しかし「方風」からすると、より古い意味があったかも知れない。