真柳 誠(北里研究所東洋医学総合研究所)
七物降下湯は大塚敬節先生が開発した処方で、成書での初出典は大塚敬節『症候による漢方治療の実際』(南山堂、1963年初版)と思われる。ただし一般には敬節先生の修琴堂医院にちなみ、修琴堂創方・修琴堂経験方・修琴堂方、あるいは大塚敬節経験方などという。もちろん方名のいわれは、当帰・川{艸+弓}・芍薬・地黄の四物湯に釣藤・黄耆・黄柏が加わった7味からなり、高血圧症に用いられることによる。
こう命名されたのは敬節先生と親交のあった馬場辰二先生だったと上掲書は記す。大塚恭男先生によると(「名前の効用」『現代東洋医学』16巻 4号 647頁、1995)、馬場辰二先生は鹿児島出身で東大医学部を銀時計で卒業。医局時代に漢方に熱中し、教授と対立して医局を去ったが、吉田茂首相が大変信頼をおかれた主持医で、市井の開業医として恬淡とした生涯を送られた方である。
本方を開発したいきさつも大塚敬節先生は上掲書に記されている。これによると敬節先生は52歳のとき高血圧症で眼底出血を発症し、八味丸・黄連解毒湯・抑肝散・炙甘草湯・柴胡加竜骨牡蠣湯・解労散などを試みたが無効。そこで出血を目標に四物湯を用い、四物湯の地黄が胃にもたれるので黄柏を加味し、さらに脳血管の痙攣を予防する効があるらしい釣藤、毛細血管を拡大する効があるらしい黄耆を加えた本方を考え、服用したところ1週間ほどで血圧は正常に復した。のち本方がある種の高血圧症の改善に有効なことが分かったので、七物降下湯として上掲書に発表。以後、応用が広まったのである。
なお本方に杜仲を加えて八物降下湯というが、恭男先生は本方に黄連・黄{艸+今}・山梔子を加えたことになる温清飲加釣藤・黄耆を処方されることが多い。一部では密かにこれを十物降下湯と呼んでいるらしい。