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真柳誠「漢方一話  処方名のいわれ41−桂枝湯」『漢方診療』15巻2号21頁、1996年4月

漢方一話  処方名のいわれ41 桂枝湯

真柳  誠(北里研究所東洋医学総合研究所)


 桂枝湯は3世紀初に張仲景が原本を著したとされる『傷寒論』『金匱玉函経』『金匱要略』が出典で、桂枝・芍薬・甘草・生薑・大棗の5味からなる。むろん桂枝が主薬ゆえ桂枝湯という。その記載は『傷寒論』だけで40条以上、加減方や合方は仲景の3書で20首を越す。仲景医書の最基本処方とされる所以である。

 しかし本方には長年の謎があった。桂枝という名称の薬物は仲景の時代やその前後にも一切存在せず、現中国のように小枝全体を桂枝と呼ぶのは早くても13世紀から、それが一般に普及したのは16世紀以降だからである。すると仲景が記した桂枝とは何だろう。

 出土医書等によると、紀元前から三国頃まで太めの枝幹の桂類樹皮を「桂」の一字で呼び、一般にコルク層を除去して用いた。コルク層除去品は前2世紀の墓から出土しており、後これは「桂心」と呼ばれ、唐代の桂心も正倉院に現存する。ただし310年頃の『肘後救卒方』や460年頃の『小品方』によると、桂枝湯の方名だけは後漢時代の仲景医書にあった。それで唐代前後は桂枝湯にも桂心を配薬し、方名と配薬名が矛盾していた。さらに桂心○○湯という仲景医方もあった。当矛盾ゆえ11世紀に北宋政府が『傷寒』『玉函』『金匱』を初刊行したとき、桂心○○湯は桂枝○○湯に改め、桂心の意味で「桂枝去皮」に一部の疎漏を除き統一、こうして方名と配薬名の矛盾を解消した。当経緯が忘れ去られた13世紀以降、中国では桂枝の字面より小枝全体を誤用し始めたが、日本では香川修庵以降から桂枝に樹皮を使用するようになっている。

 でも仲景は当時薬名にない桂枝をなぜ用いたのか。実は菌桂と呼ばれた香辛料が紀元前から別にあり、小枝樹皮のコルク層を除き重ね巻いた高級品で、現在のシナモンスティックに相当する。桂枝湯の全薬物は調味料でもあるので、桂枝とはカシア種シナモンスティックの雅称だったらしい。一度お試し下されたい。