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真柳誠「漢方一話  処方名のいわれ39−補中益気湯」『漢方診療』15巻1号13頁、1996年2月
(『漢方医学』31巻3号別刷「特集 補中益気湯」1頁、2007年10月に転載)

漢方一話  処方名のいわれ39 補中益気湯

真柳  誠(北里研究所東洋医学総合研究所)


 本方は李東垣の『内外傷弁惑論』(1247)巻1と『脾胃論』(1249)巻2を出典とし、医王湯ともいう。東垣(1180-1251) は金元四大家の一人で、発熱疾患には傷寒など外傷病以外に、脾胃が損傷された内傷病もあると主張。これに温補剤を多用したので温補派、また師の張元素が易水出身なので易水学派ともされる。

  補中益気湯は名のごとく、中つまり脾胃を補って気を益すことから命名されている。原方は黄耆・人参・(炙)甘草・白朮・柴胡・升麻・橘(陳)皮・当帰から なるが、日本では白朮を蒼朮とし、大棗・生薑を加えた10味で使用することが多い。『内外傷弁』に東垣が詳説する立方趣旨を以下にかいつまんでみよう。

人 は水穀で生きているので、脾胃の気が基本。それが飲食の不摂生で傷害されると外邪に犯されたのと似た症状になる。この内傷病は不摂生で心火が亢ぶり、それ が脾胃の虚に乗じて肺気を犯している。よって甘温剤で脾胃を補って陽気を昇らせ、甘寒薬で心火を瀉すと治る。具体的には黄耆で肺気を、人参で元気を補う。 炙甘草で脾胃を補うと共に心火を瀉し、白朮で胃熱を除く。柴胡・升麻で下落した胃の清気を昇らせ、黄耆・甘草の効能を引き挙げて衛を補い表を実する。陳皮 で胸中に乱れ干渉した清気と濁気を理気し、当帰と人参により心火で減少した血を増やす。
  ところで本方の骨格たる人参黄耆剤は460年前後の『小品方』から見え、12世紀の『和剤局方』には本方の類似方もある。一方、柴胡・升麻でいう昇浮の説 は師の張元素が提唱した。さらに東垣自身、脾胃が弱かった上、蒙古軍に包囲された開封にて内傷病で日々数千人が死ぬのを目撃した。こうした背景もあり、東 垣は上述の理屈で補中益気湯を立方したのである。

 なお彼は同様の考え方で他にも多数の人参黄耆剤を創方したが、後世に広く用いられた処方はそう多くない。理屈で名方ができる訳でもない証拠だろう。