真柳 誠(北里研究所東洋医学総合研究所)
『傷寒論』に四逆散・四逆湯・当帰四逆湯がある。これら処方に「四逆」があるのは、「四」肢の「逆」冷が重要な適応症状だからと一般に解釈される。あるいは「逆」冷を「回」復させるので、本来は「回逆」だったともいう。回の古字は「囘」で四に似るため、のち四逆に誤写されたという推定である。いずれにせよ四肢の逆冷が目標であることに相違はない。
さて当帰四逆湯は仲景の『傷寒』厥陰病篇と不可下病篇および『金匱玉函経』を出典とするが、同じ仲景の『金匱要略』には記載がない。当帰・桂枝(桂皮)・細辛・甘草・通草(木通)・芍薬・大棗の7味からなり、方名の由来は当帰が主薬で四逆を治す湯、あるいは回逆する湯ということになろう。一方、当帰四逆加呉茱萸生薑湯は『傷寒』厥陰病篇と『金匱玉函経』を出典とし、その名のとおり当帰四逆湯に呉茱萸・生薑が加味された処方である。
ところで主薬の当帰の名には、いわれがいくつかある。北宋の陳承が1092年に『嘉祐本草』と『図経本草』を合併してつけた注では、「当帰を服用すると、乱れた気血を各々よく帰属する所があるようにさせる。…当帰の名は必ずこれに因るだろう」という。これに対し明の李時珍は『本草綱目』(1596)で、「古人は子孫をもうけるために妻を娶った。当帰は女性の要薬で血を調え、血が調うと夫に帰属できるようになる。それで当帰の名ができた」という。ともに当帰を、「まさに帰すべし」と訓じた上での説である。
一方、当帰は出土した紀元前の医薬文献に記載がなく、1世紀の出土文献に初めてみえる。また100年頃の『説文』は、「帰とは女が嫁ぐこと」という。すると当帰を、「まさに嫁ぐべし」と解釈する李時珍説の妥当性がいささか高かろう。が、なにしろ当帰の語源を論じた10世紀以前の記録がないので、本当のところはよく分からない。