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真柳誠「漢方一話  処方名のいわれ31−大黄牡丹皮湯」『漢方診療』14巻4号15頁、1995年8月

大黄牡丹皮湯(ダイオウボタンピトウ)

真柳  誠(北里研究所東洋医学総合研究所)


  大黄牡丹皮湯は仲景の『金匱要略』瘡廱腸廱浸淫篇に大黄牡丹湯として載るのが出典で、大黄・牡丹・桃仁・(冬)瓜子・芒硝の5味からなる。大黄・芒硝があるので承気湯の系統になろうが、当方では大黄と牡丹を主薬として命名されている。

  方名に大黄がある仲景医方は少なくない。しかし牡丹が方名にあるのは当方のみ。また大黄配剤方は仲景の『傷寒論』『金匱玉函経』『金匱要略』に多いが、牡丹配剤方は『金匱要略』のみで、それも鼈甲煎丸・八味丸・桂枝茯苓丸・温経湯と当方に限られる。

  ところで黄のつく薬名でも、黄連・黄柏などにくらべ大黄は意味がやや漠然としており、「大」いに作用が顕著な「黄」色の薬物とでも理解するしかない。一方、大黄には将軍の別名があり、3世紀の『李当之本草』や『呉普本草』から記載がみえる。これも顕著な作用から与えられたのだろう。しかし大黄は馬王堆などから出土した紀元前の医書になく、1世紀の西洋医書と中国出土医書にはじめて記載される。したがって中国で大黄の薬用は1世紀前後に知られたらしい、と大塚恭男先生は考証されている。

  他方、牡丹のいわれを7世紀の『新修本草』注は、地上部が木本で冬も枯れず雄々しいので「牡」、根皮が赤いので「丹」という。もっともらしい説だが、牡丹も紀元前の馬王堆出土医書になく、1世紀の武威出土医書からはじめて医薬書に記載がみえる。しかも、芍薬に似た花の美しい植物として非医書に牡丹が出てくるのは、隋唐時代になってからでしかない。

  こうしたことから、後漢頃に薬用が開発されて六朝時代まで使用された牡丹と、隋唐以降使用されている現在の牡丹とは植物が違うという説すらある。当方ほか牡丹配剤方が『金匱要略』にしかないのは、これら歴史背景によるのかも知れない。