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真柳誠「漢方一話  処方名のいわれ25−麻黄湯」『漢方診療』14巻2号23頁、1995年4月

漢方一話  処方名のいわれ25 麻黄湯

真柳  誠(北里研究所東洋医学総合研究所) 

 麻黄湯は3世紀の張仲景が原本を著した『傷寒論』と『金匱玉函経』が出典で、麻黄・甘草・杏仁・桂枝の4味からなる。このように処方中の一味の名から命名された仲景の処方は、ほかに桂枝湯・葛根湯・猪苓湯・桔梗湯など数多い。いずれも方名は主薬の名に基づくので、麻黄湯も主薬の麻黄から命名されたと処方と考えていいだろう。

 当方は同じ仲景の『金匱要略』にないが、桂枝を去って{艸+意}苡仁を加えた麻杏{艸+意}甘湯は『金匱』のみにあるが、『傷寒』『玉函経』にない。当方に白朮を加えた麻黄加朮湯は『金匱』『玉函経』にあるが、『傷寒』にはない。さらに桂枝を去って石膏を加えた麻杏甘石湯は3書ともに載るように、麻黄湯とその加減方は仲景の書に少なくない。それらからすると骨格は麻黄・甘草・杏仁の3味で、これに桂枝を加えたのが麻黄湯であることも分かる。

 ところで敦煌の莫高窟から発見され、近年になって全文が公開された『輔行訣臓腑用薬法要』という書がある。この書には陶弘景(452-536)の言として、「商の伊尹は360処方を載せた『湯液経法』を著した。…これより私は常用の60処方を引用する。…仲景も『湯液経法』の処方から『傷寒論』を編纂し、…道家流を避けて処方名を薬名で改めた」という、じつに興味深い記述がある。そして仲景の麻黄湯と同じ薬味構成で類似条文の処方を、小青竜湯の名で載せるのである。すると小青竜湯の名であった処方を、仲景が麻黄湯に改名した可能性もなくはないだろう。

 ただしこの書とて後代の手をかなり経ており、素直に信じることはできない。逆に仲景の処方名も後世、相当に改められた形跡があり、すべてが当時そのままではない。けっきょく仲景がらみのルーツ捜しは、いつも闇に消えてしまう。困ったものだ。