真柳 誠(北里研究所東洋医学総合研究所)
当帰芍薬散は張仲景が3世紀初に原書を著した『金匱要略』の婦人病篇が出典で、当帰・芍薬・{艸+弓}窮・白朮・茯苓・沢瀉の6味からなる。『金匱』には本方と前4味が共通する当帰散、前3味が共通する弓帰膠艾湯・温経湯などもあるが、同じ仲景書の『傷寒論』や『金匱玉函経』にはいずれの処方もない。
さて『金匱』は婦人の妊娠時や諸々の腹中痛に本方を用いると記す。一方、3〜5世紀の『名医別録』は当帰に「中を温め止通する」、1世紀頃の『神農本草経』は芍薬に「止通する」と記す。さらに葛洪(283-343)の『抱朴子』至理篇に、「当帰・芍薬は絞痛を止める」とある。つまり当帰・芍薬が本方の効果を代表するので、当帰芍薬散の方名が与えられたらしい。
ところで本方の薬味のうち{艸+弓}窮は古称で、四川省産が有名なため川{艸+弓}の名がのち一般的になった。茯苓は部位等によって白〜茶色の相違があるので、ときに白茯苓と赤茯苓に大別され、白茯苓を良品とすることがある。芍薬ものち赤・白の区別が生まれ、赤芍薬は野生品の根で瀉的、白芍薬は栽培品のコルク層を除いた根で補的に作用すると一般に解釈されている。
他方、白朮と蒼朮は日本と中国で相違もあるが、古称は『神農本草経』が規定する一字の朮で、これは現在の蒼朮に該当する。唐代8世紀の王冰が著したという『元和紀用経』には当帰芍薬散と同一薬味で類似主治文の六気経緯丸があり、芍薬を白芍薬、茯苓を白茯苓、白朮を朮の名で記す。また朮に「皮を去る。白朮が尤も佳い」と注記するので、唐代は蒼朮などの根皮を除去し、白い良品を白朮としたらしい。
それで仲景の3書が11世紀に初出版された時、各種名称があった朮類は白朮に統一された。したがって本方など仲景の処方は白朮の名で配剤されているが、原典の時代に遡るなら蒼朮を用いるべきといえる。