真柳 誠(北里研究所東洋医学総合研究所)
防已黄耆湯は防已・黄耆・白朮・甘草・生薑・大棗の6味からなる。とすれば防已・黄耆が代表薬味の意味でつけられた方名、と理解していいだろう。
出典は3世紀の張仲景が原書を著したとされる『金匱要略』で、風湿病と風水病にそれぞれ同条文が記され、また風水病には『外台秘要方』から別条文の防已黄耆湯も転載されている。同じく仲景の書に由来する『金匱玉函経』には、『金匱』の風湿病とほぼ同条文の防已湯がある。ただし『傷寒論』には防已黄耆湯や防已湯どころか、ひとつも防已配剤方がない。
一方、『金匱』には他にも防已配剤方があり、さらに木防已湯という条文・薬味とも違う別処方がある。ややこしいことに木防已を朮防已と記す版本や書もあり、木防已・防已の相違は古くから議論されて定説をみないが、いま日本は一般に両者を区別しない。
さて『金匱』が風水病に『外台』から引用した防已黄耆湯の原文を『外台』でみると、実は木防已湯の名で、薬味も木防已が記されている。そもそも『金匱』は11世紀に北宋政府が伝来の古書に増補改訂して初刊行された一種の復元本なので、そのとき処方名や薬名がかなり改変・統一されている。つまり『外台』の木防已湯を『金匱』に転載する際、防已と木防已の相違以外は伝来古書の防已黄耆湯と同方なので、別の木防已湯と区別するためにも防已黄耆湯の方名に統一したらしい。推測を重ねるなら、あるいは『玉函経』の防已湯が本来の方名だったかも知れない。
ところで今の中国は防己(ボウキ)黄耆湯と記す。しかし中国6世紀に木条以(木防已)の用例があり、日本10世紀の『医心方』でも防已に「音は以」の注記がある。以と同音は已しかないので、日本の防已(ボウイ)黄耆湯が古態と分かろう。それを「己(おのれ)を防ぐ」の意味になる防己と誤解し、中国では16世紀頃から防己が一般化してしまったようである。