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真柳誠「漢方一話  処方名のいわれ14−半夏厚朴湯」『漢方診療』13巻8号37頁、1994年8月

漢方一話  処方名のいわれ14 半夏厚朴湯

真柳  誠(北里研究所東洋医学総合研究所)


 半夏厚朴湯は3世紀の張仲景が著した雑病治療書に由来する『金匱要略』が出典だが、同じ張仲景の医書に由来する『傷寒論』や、その別伝本の『金匱玉函経』には記載がない。本方の構成は半夏・生薑・茯苓・厚朴・紫蘇葉の5味で、前半の3味は『金匱要略』の小半夏加茯苓湯である。すると本方は小半夏加茯苓湯に、気の鬱滞を治す厚朴・紫蘇葉が加わった処方とみていいだろう。

 小半夏湯は半夏湯と呼ばれることもある。それで基本の半夏湯に、加えられた薬味を代表する厚朴を続けて、半夏厚朴湯の方名が生まれたのではなかろうか。山田業広(1808-81)もそう考えたらしく、小半夏加茯苓湯は痰飲を去る処方なので、本方は痰飲と気滞が結合した病態を治す、と『金匱要略集注』に記す。

 一方、半夏厚朴湯には四七湯の別称があり、これは12世紀後半に王碩が著した『易簡方』が最も早い記載らしい。そこでは四七湯に厚朴半夏湯や大七気湯の別称もあるといい、主治文では七気(七情:喜・怒・憂・思・悲・恐・驚)と痰飲が結合して咽喉に出現する梅核のような症状を治すという。この七気を治すので大七気湯の別称が生まれたに相違ない。

 こうした『易簡方』等の記載に基づき、『和剤局方』は四七湯を淳祐年間(1241-52)の増補版から痰飲門に加えている。それゆえ四七湯の方名は以後流行したらしく、1264年の『仁斎直指方』では四七湯の適応症に初めて「梅核気」の表現も使用。のち様々な四七湯加減方も生まれていった。

 しかし四七湯が七気を治すにしても、方名の四は腑に落ちない。ところで『金匱要略』は半夏厚朴湯の煎出方法を、「七升の水で煮て、四升を取る」と指示する。四七湯の別称はこれから生じた、と森立之(1807-85)が『金匱要略攷注』に記しているが、ちょっと面白い説ではあるまいか。