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真柳誠「漢方一話  処方名のいわれ123 大承気湯」『漢方医学』28巻2号86頁、2004年4月

大承気湯(ダイジョウキトウ)

真柳 誠(茨城大学/北里研究所東洋医学総合研究所)


 本方の出典は漢代3世紀張仲景の医書に由来する『傷寒論』『金匱玉函経』『金匱要略』の3書で、合わせて35箇所に条文が記される。この3書には同系処方の小承気湯・調胃承気湯・桃核承気湯も載り、各々の構成薬は以下のようである。

小承気湯 :大黄    厚朴 枳実
大承気湯 :大黄 芒硝 厚朴 枳実
調胃承気湯:大黄 芒硝 甘草
桃核承気湯:大黄 芒硝 甘草 桃仁 桂枝

 これら構成薬を比較するなら、小承気湯に芒硝が加わり、瀉下作用が強まると大承気湯と呼ばれる。一方、大承気湯から厚朴・枳実を去って甘草が加わり、胃気を調える処方は調胃承気湯、さらに桃仁・桂枝も加わると桃核承気湯、と呼ばれたことが分かる。どうも仲景医書がいう「承気」とは、大黄さらに芒硝による瀉下作用のことらしい。では、なぜ瀉下を「承気」と形容したのだろう。

 この「気」はむろん名詞なので、「承」は気を目的語とする動詞に違いない。しかし動詞「承」には多くの意味がある。一方、仲景医書には「承気」以外の用例がないため、承の意味を傍証できない。そこで他の漢代医書でも検索してみた。

 すると『神農本草経』と『難経』には「承」字が一切なかったが、『史記』倉公伝と『素問』『霊枢』には用例が少なからずある。それらは、上から降りて来るものを下で「うける」、あるいは上から下に「つたえる」と訓詁すべき用例だった。そして瀉下を承気と形容していることも考えると、承気の妥当な意味は「上の気を下に伝え(伝承させ)る」になる。

 つまり、胃などに停留した気を下に送り出すという間接的表現で、承気湯と命名されたものらしい。直截に瀉下湯などと名付けられなくてよかった、と感じるのは私だけでもなかろう。