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真柳誠「漢方一話  処方名のいわれ122 啓脾湯」『漢方医学』28巻1号46頁、2004年1月

啓脾湯(ケイヒトウ)

真柳  誠(茨城大学/北里研究所東洋医学総合研究所)


 啓脾湯の啓には、「開く、教え導く」の意味がある。曲直瀬道三の『啓迪集』も、この意から『書経』にある「啓迪」の語を引いて名付けられたらしい。他に啓がつく処方には、耳聾に用いる『瘍医大全』の啓竅丹、意識混濁に用いる『串雅内編』の啓迷丹などがある。すなわち「啓脾」とは、脾の機能低下で飲食物が消化管内に鬱積した状態を、脾の機能を開くことにより導く、の意味と理解していいだろう。

 現在の日本で使用されている本方は、人参・茯苓・蒼朮・甘草・山薬・沢瀉・陳皮・蓮肉・山査子の9味からなる湯剤で、{龍+共}廷賢『万病回春』(1587)巻7が出典とされる。しかし『回春』には啓脾丸として載り、湯剤ではない。また薬味のうち蒼朮は白朮となっている。ちなみに中国では李東垣以降、脾を補うのは蒼朮より白朮が優れるという説が一般化した。他方、日本では江戸中期の古方派以降、水をさばくのは蒼朮が優れるとの説が普及した。ならば白朮を蒼朮に置きかえ、丸剤を湯剤にしたのは日本での変方に違いない。

 一方、啓脾丸のうち人参・茯苓・白朮・甘草は四君子湯で、『和剤局方』の1241〜51年増補方である。すると本方は『局方』以降に四君子湯加味として創方されたらしい。また啓脾丸の名は『是斎百一選方』(1197)巻2や『証治類方』(1443)巻6に見えるが、『回春』と薬味が相当に違う。さて小山誠次氏は『回春』と同薬味・類似条文の小児啓脾丸が張時徹『摂生衆妙方』(1550)巻10にあるのを指摘し、啓脾丸(湯)の初出典とする(『エキス漢方方剤学』)。

 ただし同薬味で「小児」の付かない方名なら、丁鳳『医方集宜』(1554)巻3の啓脾丸がある。この頃から本方は広まったらしく、『医学入門』(1575)巻6や『古今医鑑』(1576)巻13など、『回春』以前の書に『回春』と条文までほぼ同じで載る。したがって啓脾丸(湯)の出典は今後、構成薬とするなら『摂生衆妙方』、方名まで含めるなら『医方集宜』まで遡らせるべきだろう。