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真柳誠「漢方一話  処方名のいわれ120 麻子仁丸」『漢方医学』27巻5号92頁、2003年10月

麻子仁丸(マシニンガン)

真柳  誠(茨城大学/北里研究所東洋医学総合研究所)


 麻子仁丸は3世紀の仲景医書に由来する『傷寒論』と『金匱玉函経』の陽明病篇、および『金匱要略』五臓風寒積聚病篇に各々一箇所の記載があり、それらが出典とされる。各条文は大差なく、『傷寒論』陽明病脈証并治第八では次のように記される。

 趺陽の脈、浮にして{サンズイ+嗇}(ショク、渋)。浮は則ち胃気強く、{サンズイ+嗇}は則ち小便数(サク)す。浮と{サンズイ+嗇}あい拍(う)たば、大便則ち{革+更}(かた)く、其の脾、約(むす)ばらる。麻子仁丸が之を主どる。

 いささか分かりにくい文だが、およその意味はこうなる。「患者は足背動脈の拍動が浮き、脈状は渋っている。脈が浮くのは胃の機能亢進、渋るのは頻尿を表す。両者が重なると便は堅く、脾の機能は制約されている。麻子仁丸はこれを治す」、と。

 本方は麻子仁・芍薬・枳実・大黄・厚朴・杏仁の6味からなる。むろん麻子仁を主薬とする丸剤につき、麻子仁丸と命名された。調製法と服用法の指示も出典3書で大差なく、6味の粉末を煉蜜でアオギリの種子(直径1cm弱)ほどに丸め、一回10丸を一日三回、治るまで服用するとある。

 さて主薬の麻子仁だが、これはアサ(大麻)種子の種皮を除いた種仁のこと。この種仁を、杏仁も桃仁も古くは「人」と書いていた。したがって麻子人・杏人・桃人と記す書があれば、その書は古態を保っていることになる。しかし現在の『傷寒論』『金匱玉函経』『金匱要略』は、3世紀の原書が11世紀に出版されるまでの過程で、ほぼすべてが「仁」に改められている。

 なお大麻も古くは麻の一字で記された。それは大麻子仁ではなく、麻子仁と呼ぶことからも分かる。しかも古くは中国にアサしかなかったのだが、前漢代にアフリカ原産のゴマが西域経由で伝わり普及した。両者は種子油に富む共通点があったためか、ゴマは西域(胡)から来たので胡麻と呼び、先に普及していたアサは背丈が高いので大麻と呼んで区別したという。

 ただしアサにしても中央アジアの原産だし、ゴマにしても前3千年の中国遺跡から出土している。したがって両者の中国伝来は相当に古く、実際は文字から想定するほど単純ではないように思える。