真柳 誠(茨城大学/北里研究所東洋医学総合研究所)
本方は宋代の『太平恵民和剤局方』が出典で、現行の10巻本では巻5の治痼冷門と巻8の雑病門に載る。巻5は宝慶年間(1225-27)の新増方で、本方の治療証と処方構成・調剤法が記される。巻8は紹興年間(1131-62)の続添方だが、「治療証と方は痼冷門を見よ」とあるのみで、他の記載はない。
さて方名の「清心」はむろん心熱を清す意味で、清心○○という処方は多い。そこで「清心」の用例を中国医薬書のデータベースで検索してみたところ、唐代までの書にはなく、『和剤局方』の本方が最初だった。本連載の75柴胡清肝湯で「この方名あるいは類以した名の処方は、中国の明代16世紀以降の医書に10種類近く発見できる」と書いたが、清心や清肝などの臓腑薬理的表現は近世になってからの造語と分かる。一方、病理表現の「心熱」はすでに1世紀頃の『素問』に見え、かなり古い語彙だった。
方名の「蓮子」はハスの種子で、2世紀頃の『神農本草経』上薬に藕(レンコン)実の名で載る。さらに『本草集注』(500年頃)の陶弘景注に、「藕実は今の蓮子のこと」とあるので、蓮子の名称は当時すでに一般化していたらしい。なお『和剤局方』では方名に蓮子とあるのに、配剤薬名には「石蓮肉」と記される。石蓮というのはハスの種子に黒く硬い種皮があるからで、肉というのは種皮を剥がした種仁を使うからである。
方名の「飲」については本連載61の参蘇飲で述べた。湯剤と同じく煎じる剤型のことをいい、参蘇飲も宋代の『三因方』(1174)が出典だった。ところで、唐代長安の街角では疲労回復の薬茶を飲子と呼んで売っていたといい、宋代の『清明上河図』にも「香飲子」と掲げた屋台で何かを立ち飲みする様子が描かれている。すると○○飲や○○飲子という処方は、もともと路上で売られていた薬茶だったらしい。
ともあれ清心蓮子飲という方名は、ハスの種仁を主薬とした心熱を清す煎じ薬の意味になるが、いささか近世的な命名だったことも分かった。