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真柳誠「漢方一話 処方名のいわれ103 小柴胡湯加桔梗石膏」『漢方医学』26巻1号40頁、2002年3月

小柴胡湯加桔梗石膏(ショウサイコトウカキキョウセッコウ)

真柳  誠(茨城大学/北里研究所東洋医学総合研究所)



 小柴胡湯は3世紀初の原書に由来する『傷寒論』『金匱要略』が出典だが、これに桔梗と石膏を加えた本方が開発されたのは日本で、江戸時代のことと考えられる。それで本処方の出典は『本朝経験方』と記される。本朝とは中国に対して日本のことをいう。

 本方を直接記録したのは、幕末から明治の初めに活躍した浅田宗伯の著書が古い部類だろう。さらに広い応用を開発したのは大正から昭和初期の湯本求真で、著書『皇漢医学』に小柴胡湯の加味方を15首記し、その一つに小柴胡加桔梗石膏湯をあげている。本書は昭和2年の初版で、昭和期の漢方復興時代に広く読まれたので、本方も昭和初期から広く用いられるようになった。一方、『皇漢医学』は本方を、小柴胡湯加石膏と小柴胡湯加桔梗の合方と記している。

 この小柴胡湯加石膏の古い記録は、津田玄仙の『饗庭家口訣』や『饗庭家秘訣』にみえる。すると小柴胡湯に石膏を加える応用は、江戸前期から後世方別派の饗庭家で行われていたのかもしれない。18世紀後半に曲直瀬塾の塾頭を任じた目黒道琢も、その著『餐英館療治雑話』で小柴胡湯の口訣に石膏の加味を記す。江戸中期に起こった古方派でも吉益南涯や、その門に学んだ華岡青洲が小柴胡湯加石膏を応用している。

 本方のもう一方のルーツである小柴胡湯加桔梗だが、中国清代の『張氏医通』には小柴胡湯に枳実・桔梗を加味した柴胡枳桔湯がある。しかし桔梗1味を加えた処方は中国に見当らない。他方、日本ではよく行われた加味方のようで、吉益東洞の治験を集めた『東洞先生投剤証録』に小柴胡湯加桔梗の記載がある。

 以上のように小柴胡湯加桔梗石膏は、小柴胡湯加石膏と小柴胡湯加桔梗の2処方が前提になっている。かくもシンプルな加味方が日本でのみ広く応用され続け、さらに小柴胡湯加桔梗石膏に至った。これは張仲景の処方を十分に吟味しつつ応用する、日本独自の臨床経験の賜といってよいだろう。