真柳 誠(北里研究所東洋医学総合研究所)
柴胡桂枝湯は、3世紀の張仲景が原本を著したとされる『傷寒論』や『金匱要略』を出典とする処方で、柴胡・黄{艸+今}・人参・半夏・生薑・大棗・甘草・芍薬・桂枝の9味から構成される。したがって柴胡桂枝湯の名は柴胡・桂枝の2味からなる、という意味ではもちろんない。では柴胡と桂枝が主薬の処方、という意味だろうか。
構成薬味にちょっと注目いただきたい。前から7味は小柴胡湯で、後ろから5味は桂枝湯である。すると小柴胡湯と桂枝湯の合方なので、柴胡桂枝湯の名が与えられたらしい。実はそれを裏づける記載もある。
『傷寒論』は800年以上も伝写され、1065年に初めて印刷物となった。これ以前の伝写本はもはや現存しないが、992年にできた医学全書の『太平聖恵方』に一部が引用されている。それを見ると「小柴胡桂枝湯」の名で記載されている。つまり10世紀以前には、小柴胡湯と桂枝湯を続け、小柴胡桂枝湯と呼ぶ場合も恐らくあった。
一方、1066年に初めて印刷物となった『金匱要略』は、付方に外台柴胡桂枝湯の名で載せる。それは『金匱要略』を出版した時の底本に柴胡桂枝湯はなかったが、『外台秘要方』に張仲景の処方として記述されていたので、『金匱要略』の出版に際し転載したことを意味する。
いま『外台秘要方』を調べると、確かに類似した柴胡桂枝湯の条文を『張仲景傷寒論』18巻なる書から引用している。とすれば当時の『張仲景傷寒論』に、現在の『金匱要略』も含まれていたのは疑いない。
この『張仲景傷寒論』は、737年に唐政府が医官登用試験のテキストに指定した書。もしかすると唐政府は「柴胡桂枝湯のいわれを簡潔に記せ」、という出題を……やはりしないだろう。