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真柳誠「漢方一話 処方名のいわれ8−小柴胡湯」『漢方診療』13巻5号31頁、1994年5月

小柴胡湯(しょうさいことう)

真柳  誠(北里研究所東洋医学総合研究所)

  小柴胡湯は大柴胡湯とともに、3世紀初に原型ができた張仲景の『傷寒論』『金匱要略』が出典。いずれも代表的柴胡剤であるが、小柴胡湯ほど広く応用されてきた処方も少ない。

  かつて小柴胡湯・葛根湯・小青竜湯の治験例や口訣を、古医書からリストアップしてみたことがある。結果は、すでに江戸初期から小柴胡湯が圧倒的に多く、中国も同様だった。大知識人の蘇軾(1036-1101) が、「世の人は小柴胡湯が傷寒を治すことだけ知り、何の証かを問わずにすぐ服用させる」(『蘇沈良方』)と、皮肉るのも無理はなかろう。

  ところで小柴胡湯の一名を三禁湯という。発汗も、嘔吐も、瀉下もできない、「三禁」の病態が小柴胡湯の適応証、というのがそのこころ。病邪を和解させるという小柴胡湯は、発汗・吐・下剤のように攻撃的でなく、温補剤のように病邪を増長させる恐れもないという。それゆえ広く応用がきくのだろうか。

  もっと面白い別名がある。唐の 752年に著された『外台秘要方』は、唐初の『古今録験方』から「黄竜湯は、傷寒十余日にして解せず、往来寒熱し、…を療す」と引用し、これに小柴胡湯と同じ構成薬味・分量を記す。つまり黄竜湯は小柴胡湯の別称らしい。黄竜とは中華(中央)を守る神で、その東を青竜、西を白虎、南を朱雀、北を玄武(真武)がそれぞれ守護する。白虎湯・真武湯や大小の青竜湯は神々の名に由来するが、小柴胡湯も身体の中央を守る処方と考えられ、黄竜湯と呼ばれたに違いない。

  ただし別な黄竜湯もあった。儒仏道に通じた大学者の陶弘景(452-536) が編纂した『肘後百一方』の傷寒門に、「糞汁を絞って数合から一、二升を飲む。これを黄竜湯という。陳久のものが佳い」と記すのがそれである。黄竜とはなんともリアルな喩えだが、これはとてもいただけない。それで黄竜湯の別称も忘れ去られていった、と考えることにしよう。