←戻る
真柳誠「漢方一話・処方名のいわれ5−十味敗毒湯」『漢方診療』13巻4号23頁、1994年4月

十味敗毒湯(ジュウミハイドクトウ)

真柳 誠(北里研究所東洋医学総合研究所)


 皮膚疾患といえば十味敗毒湯をまず思い浮べるが,それがかの華岡青洲(1760-1835)の創方になることも注意を引かずにはおかない。

 青洲が開発した通仙散による経口全身麻酔で,世界初の乳癌摘出手術に成功したのは文化元年の1804年10月13日だった。今からちょうど190年前のことである。以後,没するまでの約30年間,紀州の青洲のもとには全国から患者が集まった。手術記録は乳癌だけでも,153例におよぶという。

 華岡流外科はこうして今も,世界の外科学史上また麻酔科学史上,燦然たる光を放っている。もちろん彼が治療したのは乳癌にとどまらない。というのも当時,外科といえば体表に病変が現われるさまざまな疾患を対象とした。今の皮膚科領域の病も当然ある。これに青洲が創意工夫し,のち広く用いられるようになった処方のひとつが十味敗毒湯である。

 本方について浅田宗伯(1814-94)の『勿誤薬室方函口訣』は,荊防敗毒散の加減方と記す。荊防敗毒散は明代の1587年に著された『万病回春』の癰疽(できもの類)門が出典で,計15薬味からなる。荊芥と防風を主薬とし,化膿等の毒を敗退させる散剤。荊防敗毒散の方名には,そのような意味がこめられている。

 華岡青洲は荊防敗毒散に次の改変を加えた。まず15もの薬味を10味に整理する。すなわち前胡・薄荷・羌活・連翹・枳殻・金銀花の6味を除き,樸{木+(嗽)−口}(ないし桜皮)の1味を加え,それらに代えた。処方は薬味が少ないほど,作用がシャープになるからである。次に散剤を改め,湯剤とした。湯剤は散剤より吸収性にすぐれ,効果も早いからである。

 かくして10味からなり,皮膚の諸毒を敗退させる湯剤が生まれた。それで十味敗毒湯という。多数の難治性皮膚・外科疾患をてがけ,また経口麻酔剤の通仙散を開発した華岡青洲ならではの経験にもとづく処方といえよう。彼の創方になる皮膚科処方に,紫雲膏があるのも忘れることはできない。