真柳 誠
日本医史学会関西支部の『医譚』がついに復刊第百号を迎えたことは大変おめでたく、心から祝賀申しあげます。かつて中野操先生が戦後まもなく復刊されてから、六十年以上にわたり発刊しつづけてきた営為はなみ大抵でありません。その重責を担われてきた歴代事務局長のご努力は、まことに察するに余りあります。かつて『日本医史学雑誌』の編集委員だったとき、委員会で『医譚』のことがよく話題となったものです。
私は一九八三年に北里研究所東医研で矢数道明・大塚恭男両先生に師事して医史学研究を志し、同時に日本医史学会にも入会しました。また関西支部や『医譚』、そして関西の重厚な医史学研究陣を知りました。当時むさぼり読んだのも関西の岡西為人『中国医書本草考』や三木栄『朝鮮医書誌』『朝鮮医学史及疾病史』で、勝手に私淑したものです。ほどなく矢数・大塚両師を介し、関西の宗田一・杉立義一・長門谷洋治・寺畑喜朔の各先生とも知遇をいただき、学会や研究会ほかでお話をうかがうことがたびたびありました。
一九八五年に三木先生の『朝鮮医事年表』が公刊されたとき、『科学史研究』誌に紹介文を執筆したことがあります。以降しばしば文通させていただいたのですが、拝眉の機会がありません。たまたま『日本医史学雑誌』編集委員会で長老インタビューの企画があり、一九九二年五月に長門谷・宗田両先生とともに三木先生を訪問し、感激したのをおぼえています。残念なことに三木先生は同年十二月になくなられ、『医譚』復刊六四号(一九九三年五月)に長門谷事務局長のご依頼で追悼文「三木栄先生の学恩」を寄稿させていただきました。一九九六年七月に宗田先生がなくなられたときは東京の有志で分担して各誌に追悼文を執筆し、私は『漢方の臨床』誌九月号に「宗田一先生の思い出」を寄稿しました。
いま書架の本誌をみると復刊六〇号から七七号まで不揃いで、二〇〇六年の八五号からは連続してありました。七七号までは医史学会総会などの機会に単独で購入していたのですが、二〇〇六年から関西支部の正式会員となったからです。これは田中祐尾事務局長のお誘いがあったからで、それまで関西以外の人間が関西支部会員になれるとは想像すらしておらず、一も二もなく入会させていただきました。
以来、質量ともに充実度を増した本誌を楽しみとし、掲載論文を拙文に引用させていただいたこともあります。そして「会員」として本誌に祝辞を寄せる幸運にも恵まれました。ここに関西支部の益々のご発展と本誌の復刊第百号を、衷心より慶賀申し上げる次第です。
(日本医史学会常任理事)