東洋医学の基礎知識−本草
真柳誠 / 東洋医学総合研究所
わが国の漢方医学を含め、中国伝統医学は「本草」と呼ばれる分野において、薬物に関するさまざまな知識を集積してきた。本草という呼称の由来には諸説があるが、『漢書』によれば、紀元前一世紀には「本草待詔」の職名があり、本草の専書もあったと推知される。しかし、現在に内容がほぼ伝えられているのは、およそ一に整理されたと考えられる『神農本草経』が最古である。
この書には草根木皮のみならず、鉱物・動物に由来する約三六五の薬物が収載されたという。それらは不老目的の長期服用が可能な無毒の上薬、作用が強く治療用だが有毒で長期服用が禁忌の下薬、そして両者の中間である中薬に三分類され、植・動・鉱物等の自然分類法に優先していたことに特徴がある。五〇〇年ごろには、本書と『名医別録』と呼ばれる薬書を合編して計七三〇薬とし、さらに注を加えた『本草集注』が編纂されている。
以後、中国の歴代政府は七世紀の『新修本草』から一二世紀の『紹興本草』まで、『本草集注』を核に順次雪ダルマ式に注と薬物を増補した各代の薬局方を制定し、薬物基準としてきた。これらは正統本草と呼ばれ、全体が現存するのは『大観本草』と『政和本草』の二系統のみだが、いずれも歴代の薬物学を正確に知るうえで貴重な資料である。しかし、その文献的正確性とは裏腹に、『神農本草経』以来の三分類と雪ダルマ式の編纂形式は、臨床家の日常使用に不便な体裁となっていた。
これらの問題を解決するために著わされたのが一六世紀末の『本草網目』で、薬物を上中下ではなく自然分類に従って配列し、歴代の記述を名称・産地・採取加工法・薬効・使用法などの内容別に分類編集して、本草書の形式に一大変革をもたらした。内容面でも、正統本草にはほとんどみられなかった議論が大幅に導入されている。すなわち従来は薬物の博物学的記載と「某病や某症状を治す」という効能記載であったのにたいし、博物学的記載はあまり追加されず、代わりに「なぜ某病や某症状が治るのか」といった、一三世紀以降に行なわれ始めた薬理論が付加されている。正統本草は『新修本草』以来、国家が薬物基準を定める目的で儒官に命じて編纂していたが、『本草綱目』は民間医が臨床応用を主眼に編纂したため、このような実用本位の形式・内容となったともいえる。それゆえ本書は正統本草に代わりおおいに歓迎され、中国やわが国でも現代に至るまで復刻が重ねられているが、その引用文の記述は相当に不正確なので、注意が必要である。
さて『神農本草経』に始まる伝統薬物学には、いくつかの注目すべき点がある。第一は、前述の上中下分類である。現在その実際的意義は認められないが、人体との関わりによる分類法は『ギリシャ本草』以降のヨーロッパ伝統本草にはみられない視点である。第二は「薬性」と呼ばれるもので、すべての薬物にたいして人体を暖めるか冷やすかの観点より、熱・温・平・涼・寒などが付けられる。これは現代の臨床にも有用性があり、しかも『ギリシャ本草』や南米インディオの伝統治療にも同様の概念があり、興味深い。第三は「薬味」と呼ばれるもので、酸・苦・甘・辛・鹹(塩味)の五種を単独または組み合わせ、すべての薬物に定められている味である。薬味は本来、薬物の品質鑑別を主目的としたとも考えられる。他方、古代中国では五種の味が食物の栄養素として、なんらかの性格・作用を象徴すると認識されていた。このため一三世紀以降、薬味と薬性を組み合わせた薬理論の風潮が前述のごとく生じたが、わが国では江戸中期以後、その思弁的傾向が強く批判されている。
最後にもっとも重要な特徴として、薬物二種を配合した際の相互作用、つまり助けあったり反発したりする関係の分類規定が挙げられる。これには単行・相須・相使・相反・相悪・相殺・相畏があり、「七情」と呼ばれている。中国伝統治療の核心は処方の独自性を重視することにあるが、現代も臨床価値を失わない優れた古代の処方群は、このような認識の蓄積から開発されたのであろう。そして本草は処方治療学の基礎分野としてだけでなく、薬物開発・医学文献資料の宝庫として、現在も科学的探究の対象とされている。