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真柳誠「紹介『朝鮮医事年表』」『科学史研究』25巻2号113-114頁、1986

紹介:三木栄編著『朝鮮医事年表』
(思文閣出版、京都、1985年、iv+590pp、A5判。20000円)


 著者三木栄氏の朝鮮医史研究は半世紀をゆうに越える。端緒は昭和3年より16年間に亘る彼の地での在勤であった、と著者はいう。昨今の出土や考古学の成果より、朝鮮半島の文化・科学技術などが古くから日本の各面に深く影響を与えてきたことは、現在でこそ常識化している。だが著者の渡鮮した当時、日本・中国はもとより当地にすら朝鮮半島の科学史、まして医学に関する史的研究は皆無に等しかった。著者はこの解明にただ1人で取り組まれてきたのである。

 その成果を著者はこれまで2書にまとめ発表している。その1は、朝鮮固有医書とその関連書の書誌学的研究・解題である。この書は昭和25(1950)年に脱稿、同31(1956)年に『朝鮮医書誌』として孔版にて自家出版。昭和48(1973)年に至り、その増修活版本が学術図書刊行会より上梓された。その2は、朝鮮医学・医療の発達と社会の医事情、各時代に発生した流行伝染病を含む各種疾病とその史的研究である。この書は昭和23(1948)年に脱稿、同30(1955)年に『朝鮮医学史及疾病史』として孔版出版。同38(1963)年にはその増修活版本を自家出版、後に医歯薬出版より再版されている。両書は孔版・活版ともにごく限られた部数の出版であったため、現在は入手がなかなか困難であるが、豊富な史料、整然たる体系、穏健な論証などで斯界随一の大著として、わが国および隣邦の研究者を大いに益してきた。

 そして今回初めて刊行された当『朝鮮医事年表』は、著者が上掲2書中にも幾度か言及され、その公刊を久しく待たれていたものである。本書は著者の朝鮮医史に関する研究では最も早く、当地に在勤中の昭和18(1943)年に稿本が出来上がっていたという。本書の出版で、著者の系統的朝鮮医史の全研究成果が出揃ったことになる。

 さて、本書は単に朝鮮半島における歴代医事を列挙した年表ではない。その網羅するところは、彼の地における医学・医療に関する記事のほか、疾病関係の史実、医学以外の重要事蹟、さらに日本・中国などにおける朝鮮との医事交流や主な医事項目にまで及んでいる。いわば純粋の「朝鮮医事年表」に、「朝・日・中三国交流年表」と「中国医事年表」「日本医事年表」の主要記事を兼有した内容となっている。そこには本書を限られた世界での史実の羅列や比較ではなく、時間と地理の立体的史観から、医学・医療・疾病の伝播と発展変遷の様相を有機的に読みとれる「年表」にせんとする著者の積極的姿勢が現われている。もちろんこの史観は本書や前述2書のみならず、著者の『体系世界医学史』『人類医学年表(共著)』などの著述にも貫徹されている顕著な特徴である。一方それは、日本医史の研究に往々にして見られる朝鮮医学の等閑視への実証的問いかけでもある。「不通朝鮮医学、不可以説日本及中国医学」と『朝鮮医学史及疾病史』の総序に著者があえて中国文で記した言葉は、この史観を如実に物語るものであろう。

 本書の第2の特徴は史料の博引である。しかも単なる博覧援引ではなく、『朝鮮医書誌』に示された書誌学的考証をふまえ、望みうる限りの最善史料を底本に用いた正確な記事の引用がなされている。それらは各条記事の末尾に付記される所出史料件名より知れるが、所引文献の詳細や書名・人名索引などを本書は省略している。しかし『朝鮮医学史及疾病史』の書末に付されたB5判・2段・24頁に亘る厖大な引用文献の詳細より、著者が医史料の収集にかけられた非常な努力と熱意の一端がうかがわれる。この点においても、本書は先行する日本や中国の医事年表をはるかに凌駕しよう。かつ各条毎に所出史料件名を一々明記したことで、中野操氏の『日本医事大年表』などに見られた記載の信頼性に対する欠点を克服し、後学者の史料検索を容易にしている。

 第3の特徴は史実の正確度・信頼性に対して十分な配慮の上、記事を配列・記載している点である。それは各事蹟を年次・月次・日次に分けて別載し、同日中の出来事は○印で区切り、日の不詳なものは各月末に「是月」、月の不詳なものは各年末に「是歳」、年の不詳なものは各代末に「この頃」(外国は「晋代」など)と明記して書き出すこと。近代の月・日で太陽暦によるものは、各月・日下に(陽)と注記すること。史書などの記年に嫌疑の存するものは各条所出史料件名下に(年紀不正確)と注記すること、などに現われている。

 本書は全体を「開闢から三国末期(~668)」、「新羅一統期(669~935)」、「高麗期(936~1392)」、「李氏朝鮮期(1392~1910)」、「代行政治期(1910~1945)」の5期に編成している。とりわけ李氏朝鮮期以降は充実しており、全書の約4分の3弱の頁数を占める。さらに日本が朝鮮を併合した「代行政治期」の35年間は詳細をきわめ、各年毎の伝染病別患者数・死者数・医学校卒業者数まで記録され、著者ならではの綿密ぶりである。そして1945年、本書の最終頁には「以上を以て、編者の著録は終る。以後は同民族同言語である全半島国民によるより良き『年表』が作製され、伝統ある東医学の樹立に至らんことを願って止まない」と記され、著者の現況に対する切実なる心情が吐露されている。

 書名・人名索引を『朝鮮医学史及疾病史』『朝鮮医書誌』所収のものにゆずること、誤植がまま見られることなど、本書に少々の難点がないわけではない。しかし本書の浩瀚な内容からすれば、それらもやむを得まい。無論、本書の本質的価値に係るものでないことは言うまでもなかろう。自序に「今この『年表』が揃うと、朝鮮医史がより以上明確さを増し完全なものとなり得るのである。大陸中国医学と島国日本医学との間に堅固な橋が懸けられるのである」、と述べる著者の言葉にはいささかの過言もない。斯界の視野がわずかながらも朝鮮半島の文化・科学におよび、その真価が正当に認識されつつある現在、完成より40余年の時空を経た本書の刊行は、まさしく干天の慈雨である。約60年にも亘り着実に業績を重ね、体系的かつきわめて客観的に朝鮮医史の全貌を闡明された著者の努力に心から敬意を表したい。著者三木栄氏の築かれた学問は東アジア医史の空白を埋めたばかりでなく、日本および中国の医学科学史の研究をも今後永く稗益してゆくであろう。

 筆者には本書の仔細を論評する能力はもとよりない。いわんや史実を列挙する「年表」においてをやである。したがって本書の編纂・構成の特徴紹介と、印象的な感想を述べて筆者の責に代えた。(真柳誠)