甦った中国医書誌の研究

真柳  誠


著者:小曽戸  洋、書名:中国医学古典と日本−書誌と伝承、出版:塙書房、初版:1996年2月28日、判型:A5判、目次8頁・本文674頁・索引32頁、定価:12000円(本体)

   中国伝統医学が中国文化の一翼を担っていることに、まず異論はないだろう。もちろん、それは中国周縁の地域・民族にも受容され、定着してきた。こうした民族文化に根ざした伝統医学は、他にアユルベーダやグレコアラブ医学のユナニがあり、インドを中心とした国々で現代に存続している。

   この伝統医学という表現が近代医学に対応しているのは当然としても、すこし大上段にかまえるなら、そもそも伝統といい、医学というからには、伝承医療とも民間医療ともいささか違う。民族文化に根ざすのみならず、歴史の蓄積があるから伝統といい、体系があるから医学という。分岐点は古典の有無にある。

   現在のいずれの伝統医学体系でも根底には古典とされる医書がある。それを出発点に、経験や理論などを無数の文献に記録しつつ、二千年近い歴史過程で様々な生命現象・疾患に対応する身体観と多様な医療方法が体系化されてきた。

   これら医学古典籍の数量において、中国伝統医学は恐らく世界の筆頭だろう。現存する民国時代までの中国医書は約一万、江戸時代までの日本医書もほぼこれに近い。その書名・著者・成立年・版写本・所在は、中国書なら『全国中医図書聯合目録』(薛清録ら、中医古籍出版社、一九九一)、日本書なら『改訂版国書総目録』(国書研究室、岩波書店、一九八九)と『古典籍総合目録』(国文学研究資料館、岩波書店、一九九〇)を見れば最低限の情報が分かる。

   一方、内容の解題は『四庫全書総目提要』を嚆矢とするだろうが、いまでは簡にすぎる。また佚伝書についての情報もない。これに応えた最初は、幕末に江戸医学館を主宰した多紀元胤の『医籍考』で、二八五五の中国医書について「存」「佚」「未見」の判断と、序跋文・伝記・考証を記す。本書は漢文で中国医書のみのためか、日本では明治になって多紀家旧蔵の写本が一度影印出版されただけにすぎない。逆に中国での需要は高く、影印本からの活字本が『中国医籍考』の名で、現在まで出版され続けている。

   ただし『医籍考』には書誌情報が少ない。そこで善本について専ら版写本・書式・伝承・所在などの考証を、江戸医学館に集った医官の森立之らがまとめたのが『経籍訪古志』で、医書に限らず全分野の漢籍を網羅する。これも当時は出版に及ばず、明治になって清国公使館の資金援助で初版が出た。森立之らは並行して善本の鑑定に役立つ部分を、蔵書印まで原寸大に模写した『留真譜』も作成していたが出版できず、清国公使に随行して来日した楊守敬が購入し、帰国後に増補して出版している。

   清朝考証学を導入した医官がこうした巨大な業績をなしえたのは、幕府の権力・財力もさることながら、それだけ多量の貴重書・善本が日本に伝存しており、彼らが利用できたからにほかならない。彼らは清朝の蔵書目録・書誌解題書を見て、それに勝る条件が日本にあることを十分に意識したうえで研究していた。この条件は今も大差ない。

   しかし明治維新後の伝統医学廃止政策で、医書誌の研究も断絶してしまった。台湾総督府と朝鮮総督府も同様の政策を実施した。例外は、日本の漢方復興運動の影響もあり、伝統医学存続政策を実施した満洲国だった。

   満洲医科大学の中国医学研究室(のち東亜医学研究所)は、大連満鉄図書館が琉璃廠より購入した古書三万冊のうち医書約六千冊の寄贈を受けている。整理にあたった岡西為人がそれらも存分に利用し、編纂したのが『宋以前医籍考』である。これで、かろうじて幕末の書誌考証学が継承された。手元に現物がなければ書誌学はできないのである。

   『宋以前医籍考』は『医籍考』と『経籍訪古志』の特徴を兼ね合わせた書で、現存と散佚を合わせた宋・金代までの一八二九書を載せる。新たな書誌情報も多い。しかし満洲国時代には出版が完了せず、岡西為人から原稿を託された友人の尽力で一九五八年に人民衛生出版社から新組みで出版された。以後、編纂が「偽満」という理由で再版されていない。一方、岡西為人は人民衛生出版社本を一部改訂し、台北の古亭書屋から一九六九年に再版したが、日本ではいまだに復刻できない。

   名著『中医各家学説』(上海科学技術出版社、一九八〇)の著者で、いまはなき任応秋・北京中医学院教授が、かつて私に語ったことがある。自国の医書誌を調べるのに日本人の本、それも宋以前は「偽満」の本を見なければならないのはなんとも悔しい、と。しかし自国の『医籍考』『宋以前医籍考』ともに中国本しか使えない私も悔しかった。

   岡西為人は帰国後、医書誌の論文を数多く発表している。彼が没した翌一九七四年、それらは『中国医書本草考』(井上書店発売)の一書にまとめられ、いささか斯界の渇をいやした。しかし彼は当時かぎられた書しか調査できなかったため、その論考にも限界はある。

   ところで馬継興『中医文献学』(上海科学技術出版社、一九九〇)は、中国でこそ新境地を拓いたが、『中国医書本草考』と渡邊幸三・宮下三郎の論文の焼き直しと評していい。もちろん新知見もあるが、岡西・渡邊・宮下各氏が慎重に論を進めているのに対し、馬氏の論には目録だけに依拠した速断が目につく。

   もっとも、杜撰な書なら筆頭に『中国医籍通考』全五巻(厳世芸ら、上海中医薬大学出版社、一九九〇〜九四)を挙げねばならない。『医籍考』『宋以前医籍考』を凌駕するために編纂したと序文に記し、収録数こそ八四七八書と数倍に増加している。が、それは『医籍考』『宋以前医籍考』を切り貼りした上で、『全国中医図書聯合目録』の前身で七六六一書を載せる『中医図書聯合目録』(一九六一)、また九〇三四書を載せる『上海中医学院中医図書目録』(一九八〇)の目録情報を、現物にあたることなく無批判に転録して増やしたにすぎない。

   さらに『医籍考』が「未見」とした書をそのまま「未見」とはできず、一律に「佚」と妄断する。台北故宮に現存する書もあるのに。きわめつけは『道蔵経』所収書まで「佚」と記す。軽率などのレベルではない。

   以上ながながと、これまでの中国医書誌研究を論評してきたのには訳がある。それは幕末考証学者の研究が最高峰を示し、その一部が満洲国という特殊環境で継承されてから約半世紀、さほど大きな進展がなかったことを言いたかったからである。そこで本題に入ろう。

   小曽戸氏の新著『中国医学古典と日本−書誌と伝承−』は、次の各章から構成されている。

   序章の「日中伝統医学の歴史」は本書の導入で、両国の医薬文献を中心に概説した通史。

   第一章の『黄帝内経』は、成立と内容の概略、日本における受容史、『素問』『霊枢』の書誌、『黄帝内経明堂』の書誌と日本における伝承など。

   第二章「神農の書とその崇拝」は、『神農本草経』の成立・書誌・伝承・内容概説、日中の医薬文献にみえる神農賞賛の歴史など。

   第三章「張仲景方」は、現代に伝わる張仲景方の『傷寒論』『金匱玉函経』と『金匱要略』について、その成立・書誌・伝承・概要など。

   第四章「晋〜唐の医学典籍」は、『脈経』『肘後備急方』『小品方』『諸病源候論』『千金方』『千金翼方』『外台秘要方』『医心方』の各書について、成立・書誌・伝承・概要・参考資料など。

   第五章は「敦煌文書および西域出土文書中の医薬文献」で、それらについての釈文ないし概要など。  附「古代中国の医学史料」では、甲骨文字・非医薬古典籍にみえる医薬関連記載と、出土医書・出土医療器具を概説。書末には書名索引と人名索引もある。

   さて本書をひとことで言うなら、幕末の研究を現代に甦えらせた書であろう。彼らの業績をことごとく継承しただけでなく、新境地も拓いた。医書誌の研究による中国・日本の医学文化史、とりわけ日本における中国医学古典受容の史的解明である。

 小曽戸氏は既発表の論文を本書に再編したと記すが、この視点が全篇を貫いている。そして確固たる史料と慎重な考察による新知見・新見解が、抑制のきいた筆致で明解に述べられている。まさに一世を画する書といっていい。近い将来、必ずや本書が中国で翻訳出版されるだろうことも予言しておこう。

(茨城大学)

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