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和田攻ら『看護大事典』(東京・医学書院、2002年11月15日)24項目執筆

『看護大事典』、真柳誠執筆項目
栄西・叡尊貝原益軒香川修徳梶原性全華佗香月牛山葛洪喫茶養生記啓廸集月湖五運六気説張仲景導引頓医抄脾胃論扁鵲抱朴子本草学本草綱目本草和名万安方養生訓李時珍
 

【項目名】栄西(1141〜1215)
【項目名ヨミ】エイサイ,ヨウサイとも.
【英文表記】Eisai or Yousai 
【解説文】鎌倉時代前期の臨済宗黄竜派の僧.法諱は栄西.道号は明庵(みょうあん).千光法師・葉上房ともいう.備中賀陽(かや)氏の出身.11歳で仏門に入り,14歳のとき比叡山で受戒.1168年に入宋し,天台山万年寺で羅漢に茶を供養,同年に帰国した.1187年に再度入宋し,臨済禅の法脈を得て1191年に帰国.1199年,鎌倉で北条政子の帰依をうけ,寿福寺を建立.1201年,将軍源頼家の庇護をうけ京都に東山建仁寺を建てた.1214年2月に将軍源実朝の病気平癒のため祈祷をおこない,茶と桑の効用を述べた『喫茶養生記』の抜粋を献上した.ほかに『出家大綱』などの著書がある.
 

【項目名】叡尊(病者救済事業)(1201-90)
【項目名ヨミ】エイゾン
【英文表記】Eizon
【解説文】鎌倉中期の律宗の僧.字は思円(しえん).大和国の生まれ.父は興福寺の学侶慶玄.17歳で醍醐寺の叡賢を師として出家.1236年,東大寺で自誓受戒し,海竜王寺をへて翌年西大寺に移り戒疏を講じて布薩を行った.北条実時の招請で鎌倉に下り,各地で布教の傍ら救癩事業と貧病者救済に挺身し,幅広い階層の帰依をえた.著書に『関東往還記』『感身(カンジン)学正記』など.
 

【項目名】貝原益軒(1630〜1714)
【項目名ヨミ】カイバラエキケン
【英文表記】Kaibara Ekiken
【解説文】江戸前期の儒学者・博物学者.名は篤信.字は子誠.益軒はその号.父寛斎は筑前福岡藩の医官.19歳から71歳で致仕するまで,ほとんどを福岡藩主黒田家に仕えた.はじめ儒を志し,ついで長崎で医を学び,さらに江戸・京都で儒を研鑽した.朱子学を基本としたが,晩年は疑問を抱き『大疑録』を著し,古学にも関心があった.医学・本草学・農学・地理学にも造詣が深く,『養生訓』『大和本草』は今なお読まれている.医家の香月牛山は最も親密な友人の一人だった.
 

【項目名】香川修徳(1683〜1755)
【項目名ヨミ】カガワシュウトク
【英文表記】Kagawa Shutoku
【参照・備考】(1683-1755)「一本堂薬選」
【解説文】江戸時代中期の儒医.字は太冲.修庵と号した.播磨国姫路の人.1700年,京都に遊学し,古医方の大家後藤艮山について医を学ぶかたわら,伊藤仁斎に儒を学んだ.のち儒と医はその本を一にすることを力説,堂号を一本堂と名付けた.生命現象や疾病・薬能などを陰陽五行説や五運六気説で説明することを強く排斥し,実際の臨床経験から客観的に把握しようとした.多くの門人を養成し,『傷寒論』にもとずく古医方の説を全国にひろめた.著書に『一本堂薬選』『一本堂行余医言』『一本堂医事説約』などがある.
 

【項目名】梶原性全(1266〜1337)
【項目名ヨミ】カジワラショウゼン
【英文表記】Kajiwara Shozen
【参照・備考】「頓医抄」「万安方」
【解説文】鎌倉時代の僧医.号は浄観.相模国鎌倉郡梶原郷の出身.生涯は不明な点が多い.著書中の断片的な記述などから,生没年,鎌倉に居住したこと,一時長井掃部頭に仕えたこと,源三冬景という子がいたことが分かる.著述に当時最新の渡来中国医書等を利用していることから,比較的高い位にあり,有力者の後ろ盾もあったらしい.著書の『頓医抄』50巻と『万安方』62巻は,ともに鎌倉時代を代表する大医学全書.
 

【項目名】華佗(2世紀中葉〜3世紀初)
【項目名ヨミ】カダ
【英文表記】Hua Tuo
【同義語】後世,華陀とも書かれる
【解説文】中国・後漢〜三国間の名医.一名は{甫+方}.字は元化.沛国{言+焦}(いまの安徽省亳県)の人.若くして徐土に遊学して多くの経典に通じ,のち医学に長じた.五禽の戯という5種の動物の動作を模した導引法にも優れた.薬でも針でも治らない病には,大麻を配合したともされる麻沸散で麻酔手術をし,治療したという.魏の曹操の頭痛を治したが,のち命に背き獄死した.著書とされる『中蔵経』は後人の仮託だが,唐以前の内容も含まれる.弟子に本草学にひいでた呉普・李当之などがいる.
 

【項目名】香月牛山(1656〜1740)
【項目名ヨミ】カツキ ギュウザン
【英文表記】Katsuki Gyuzan
【参照・備考】「老人必要養草」
【解説文】江戸時代中期の医家.名は則真.字は啓益.牛山と号した.父は重貞.筑前国遠賀郡植木の出身.貝原益軒に儒を,鶴原玄益に医を学ぶ.1685年,30歳で備前中津侯に医官として仕えた.44歳で辞して京都二条に開業し,伊藤仁斎・松岡玄達ら文人と交流.診療・門人教育の一方,『老人必要養草』『婦人寿草』『小児必要養草』『巻懐食鏡』『巻懐灸鏡』など啓蒙医書を多数著し出版した.中国金元時代の医説,とくに李東垣の考えを重視したが,独自の見解も多く,当時の後世方医家の代表とされた.著書は他に『牛山方考』『牛山活套』『薬籠本草』『習医先人』など多数.
 

【項目名】葛洪(283-343)
【項目名ヨミ】カッコウ
【英文表記】Ge Hong
【解説文】中国・東晋時代の学者.字は稚川.号は抱朴子.葛仙翁とも称された.丹楊句容(江蘇)の人.邵陵の太守葛悌の子.幼いときから学を好み,鄭隠に仙道を学び,鮑玄にも師事した.神仙・養生の修行に励む一方,医術も学び,煉丹術を中心に神仙諸術を総合的に組織した.赤冰の乱に軍功をたて,326年に召されて諮議参軍などを歴任.晩年は広東の羅浮山に入って煉丹と著述に専念し,ここで卒した.著書に『抱朴子』『神仙伝』『肘後救卒方』など.
 

【項目名】「喫茶養生記」
【項目名ヨミ】キッサヨウジョウキ
【英文表記】Kissa Youjouki
【解説文】鎌倉時代の僧,栄西(1141〜1215)が著した日本最初の茶書.全2巻.1211年の初稿本と,1214年の再訂本がある.源実朝の飲酒による病に栄西が献上した茶書は,再訂本からの抜粋とされる.上巻では,五臓を養う五味のうち,心に必要な苦味が日常食に欠けるので,これを茶で摂取すべきこと,また茶の名称・効能・調整法などを説く.下巻では,諸病の原因となる冷気を排除するという桑の解説が主で,末尾に喫茶法を説く.本書は22の中国書を引くが,大多数は『太平御覧』引用文からの転載.
 

【項目名】「啓廸集」
【項目名ヨミ】ケイテキシュウ
【英文表記】Keitekisyu
【解説文】安土桃山時代を代表する医学全書.全8巻.1574年の成立.後世方医学の大成者,初代曲直瀬道三(1507〜1594)の主著で,書名は『書経』の「後人を啓迪す」の語から.49書からの直接引文と約30書からの間接引文が科疏形式を交えて漢文で編纂される.引用書は明以前の各時代にわたるが,明医書の引用が大多数を占める.明代の主流だった李朱医学を体系的に整理した本邦最初の書で,のち後世方医学の規範的書とされた.道三の全文自筆原本や序文等のみ道三自筆などの古写本が伝わるほか,1649年刊本と1995年刊の全訳本がある.
 

【項目名】月湖
【項目名ヨミ】ゲッコ
【英文表記】Gekko
【参照・備考】「全九集」室町時代
【解説文】室町時代の僧医.明にわたり銭塘に住し,初代曲直瀬道三の師・田代三喜(1465〜1537)が明に留学したとき師事したという.銭塘(今の杭州)で自著の『類証弁異全九集』4巻を1452年に刊行,また『大徳済陰方』4巻(のち『産科秘録』2巻に改編)を1455年に刊行したとされ,両書の江戸再版本がある.しかし中国刊本はともに現存せず,過去の蔵書記録にもない.両書は月湖に仮託して編纂された可能性が高く,月湖その人も虚構との説が有力.
 

【項目名】五運六気説
【項目名ヨミ】ゴウンロッキセツ
【英文表記】Wuyun Liuqi
【略語】運気
【解説文】中国医学古典『素問』の隋以前増補部分に多用される説.唐代から流行して医学ほか易学にも利用された.五運とは五行説の基本たる木・火・土・金・水の5要素の転変を,十干で「運」として定めること.六気とは風・火・熱・湿・燥・寒の6種の気候要素の出現を,十二支で「気」として定めること.本説はまず各年の干支から「運気」を求め,つぎに五行の相生・相克でその年の気候変化と疾病の関係を予測する.さらに月・日・時刻まで本説が適用され,医療や日常生活を煩雑に規定したこともあり,中世以降は徐々に廃れた.日本では江戸中期以降,古方派医家による後世方医学批判で恰好の論難対象とされた.
 

【項目名】張仲景(2世紀後半〜3世紀初)
【項目名ヨミ】チョウチュウケイ
【英文表記】Zhang Zhong-jing
【参照・備考】「傷寒論」
【解説文】中国・後漢末,2世紀後半〜3世紀初の人で南陽出身.名は機.字は仲景.医術を張伯祖に学んだ.のち孝廉(コウレン)にあげられ,官は長沙の太守に至ったという.すでに3世紀末から名医として伝えられたが,『後漢書』ほかの正史に伝や同名者の記録はない.唐代の『名医伝』の佚文にのみ伝があり,なかば伝説化した人物.『傷寒雑病論』の自序では,205年ころまでの傷寒病の流行で親族の多くを亡くしたため,それまでの医薬学書などを参照して本書16巻を編纂したという.この書は北宋以降,『傷寒論』10巻と『金匱要略(キンキヨウリャク)』3巻として現代に伝わり,中国系伝統医学で薬物療法の最基本古典として各国で読まれ続けている.
 

【項目名】導引
【項目名ヨミ】ドウイン
【英文表記】Daoyin
【同義語】道引
【解説文】中国古代でおこなわれていた体操法と呼吸法による一種の健身術.呼吸により体内の濁気を排出して新鮮な気を取り込み,肢体・関節の運動で体内のすみずみまで血気を循環させ,健康の維持・促進をはかる.『荘子』や『史記』等の古典籍から記載があり,前漢時代の墓から導引の様子を描いた図や説明文も出土している.虎・鹿・熊・猿・鳥の動作を模した導引法に,華佗が五禽の戲と名付けたという『後漢書』の記述は有名.華佗の弟子の呉普はこれを行い,90歳をすぎても耳目聰明で,ひとつも歯が抜けずしっかりしていたという.
 

【項目名】「頓医抄」
【項目名ヨミ】トンイショウ
【英文表記】Ton-isho
【参照・備考】性全,1302
【解説文】鎌倉時代の代表的医学全書.全50巻.梶原性全(1266〜1337)の編で,1302年ないし1304年の成立とされる.医学全般にわたる内容が和文で著された最初の大部な書で,通俗性を意図したものらしい.主に北宋の『太平聖恵方』に依拠するが,唐代の『新修本草』『千金方』や宋代の『和剤局方』『三因方』なども多く引かれるほか,一部には性全に意見が記される.巻44には中国で失われた人体解剖図『在真環中図』からの引用があり,価値が高い.のち性善は別な意図で医学全書の『万安方』を著した.
 

【項目名】「脾胃論」
【項目名ヨミ】ヒイロン
【英文表記】Piwei Lun
【参照・備考】金・元
【解説文】中国・金代の名医,李東垣(1180〜1251)の著.1249年の成立.東垣の没後,弟子の羅天益が刊行して世に出た.版本により2巻本・3巻本・4巻本の相違はあるが,内容は同じで医論36篇と方論63篇からなる.本書に先立つ東垣の『内外傷弁惑論』(1247年)は,風寒暑湿燥火などの外邪により発症した外傷病と,五臓六腑とくに脾胃の変調で発症した内傷病を区別して治療すべきことを主に論じるが,本書はこれを一歩進め,書名のごとく脾胃の重視を強く主張.人参・黄耆を配剤した処方とその加減方を多数創出し,脾胃の補養による治療法を確立した.脾胃は五行説で土に配当されるため,この東垣流を後世,補土派という.本書は明代初期に編纂の医学叢書『東垣十書』に収められて以来ひろく流行し,現在にまで影響を与え続けている.
 

【項目名】扁鵲
【項目名ヨミ】ヘンジャク
【英文表記】Bianque
【解説文】中国古代の伝説的名医.勃海郡鄭の出身で,姓は秦氏,名を越人といった.長桑君に医学を十余年学んだのち秘薬を授けられ,30日服用すると垣根を隔てて人が見え,病人の五臓にあるしこりを透視できるようになった.脈診に長じ,各地を遍歴して医術を行ったという.『史記』などからすると紀元前5世紀の前後数百年も活躍しているので,何代にもわたり各地を遍歴した医師団の通称だったらしい.著書はないが,『八十一難経』など後世,彼に仮託された医書は多い.
 

【項目名】「抱朴子」
【項目名ヨミ】ホウボクシ
【英文表記】Baopuzi
【解説文】不老長寿の仙術を解説した書.内篇20巻,外篇50巻.中国・東晋時代の葛洪(283〜343)の著.317年ごろの成立.「抱朴子」とは生まれたときのまま生きている人のことで,葛洪の号でもある.後漢時代から道家思想を中心に発達した神仙道を整理したのが「内篇」で,仙人になるための方法として善行・房中術・導引・煉丹薬などを詳述する.「外篇」は王充の『論衡』にならって政治の得失や人事の善悪について論じ,儒家の立場も含む.
 

【項目名】本草学
【項目名ヨミ】ホンゾウガク
【英文表記】Materia Medica, Bencaology, Herbology
【解説文】薬物や有用物,さらに天然物全般の情報を集積し研究する分野を中国語で本草という.本草の語は『漢書』に初出し,前漢には本草の官職,後漢初期には暗誦するような体系があったらしい.本とは本源の探求,草とは薬物を代表する草薬をいい,これから薬物学を本草と呼んだとされる.のち本草は有用天然物学,さらに有用・無用を問わない博物学・天然物学へも発展した.内容が現存する最古の書は1〜2世紀ころの『神農本草経』で,収載の365品を人への有用性の程度で上中下に分類.以後この書を核に雪だるま式の増補が歴代重ねられ,宋代の『証類本草』まで三品分類が踏襲された.明代の『本草綱目』で自然分類が採用され,一大変革をもたらした.日本では奈良時代から本草が研究され,日本産品の開発に利用.江戸時代は幕府の奨励もあって研究が盛んとなり,多くの本草書が著された.江戸中期からはヨーロッパ本草の影響もあり博物学的要素が強まった.
 

【項目名】「本草綱目」
【項目名ヨミ】ホンゾウコウモク
【英文表記】Bencao Gangmu
【解説文】中国本草を代表する書.明代・李時珍の編纂.全52巻に1892種の天然物とその製品を載せる.1592年頃の成立で,1596年の初版金陵本が日・中・米に計11点現存する.通説では日本へ1607年に初渡来とされるが,1604年以前の渡来が正しい.現在まで中国・日本で夥しく復刻,また各国語にも翻訳され,巨大な影響を与え続けている.『神農本草経』以来の上中下3分類と文献主義による雪だるま的編成が利用に不便なので,本書はすべて自然分類で配列.各薬物ごとに名称・形状・作用等の項目を立て,歴代の記述を再編している.金元以降の薬理説も博採した.これにより史料性より名物・博物・臨床などの面が強調されたが,引用文には省略・改変・誤謬が多く,注意が必要.
 

【項目名】「本草和名」
【項目名ヨミ】ホンゾウワミョウ
【英文表記】Honzou Wamyou
【同義語】『輔仁本草』とも
【解説文】現存最古の日本人による本草薬名辞典.全2巻.平安時代初期,918年ころの成立で,撰者は侍医の深根輔仁.収載品は唐政府が659年に勅撰した『新修本草』の865種,諸家食経の105種,諸家本草の70種からなる.この計1025種を『新修本草』の分類順で項目に立て,各々の正名・異名とその発音を隋唐以前の医薬文献など計30書から引用.つぎに和産があるものは産地,和産がないものは「唐」と記し,最後に和名を万葉仮名で記す.現存書では『新撰字鏡』(898〜901年)に次ぐ漢和辞典でもあり,引用された中国書のほとんどが散逸しているため,本草学・博物学のみならず国語学・中国文献学でも貴重.のち所在不明となっていたが,江戸幕府の医官・多紀元簡(もとやす)が幕府の紅葉山文庫から古写本を発見して1796年に校訂・刊行,再び世に出た.この古写本の現所在は不詳だが,その模写本が台北の故宮博物院と岩瀬文庫にある.
 

【項目名】「万安方」
【項目名ヨミ】マンアンホウ
【英文表記】Man-an Hou
【参照・備考】性全,1315
【解説文】鎌倉時代の代表的医学全書.全62巻.梶原性全(1266〜1337)の編で,初稿の50巻本は1315年ごろ,最終稿は1327年になった.漢文の医学全書で,家伝を目的に著されたものらしい.主に北宋の『聖済総録』に依拠するが,ほかにも新渡来の宋版医書を多数引用,とくに『傷寒論』と『紹興本草』を日本で最初に利用した書として注目される.のち解剖図など性善の他の単行書が後付されたため,現行本は62巻本.性善は本書以前にも医学全書の『頓医抄』を和文で著している.
 

【項目名】「養生訓」
【項目名ヨミ】ヨウジョウクン
【英文表記】Youjou Kun
【解説文】貝原益軒(1630〜1714)の手になる個人衛生を主とした通俗的な医書で,1713年に出された.全8巻からなるが,養生の方法を和漢の日常の出来事から引用し,患者の体験も交じて書かれており,当時の人々に愛読された.益軒が儒者であったこともあり,彼の説く養老・育児・択医などに深い関心を示す者が多く,それらが看護に与えた影響も少なくない.
 

【項目名】李時珍(1518-1593)
【項目名ヨミ】リジチン
【英文表記】Li Shi-zhen
【参照・備考】(1518-1593)「本草綱目」
【解説文】明代の本草家・医家.湖広{艸+單+斤}州の人.字は東璧.号は瀕湖.父の李言聞も医家だったが,進士をめざしてはたせず,医を業として名声を博した.太医院に召されたが,1年で辞して帰郷し,本草の研究に専心.26年をかけて『本草綱目』52巻を1578年に完成したが,出版を待たずに卒した.本書は後世,中国と日本の本草研究に多大な影響を及ぼし続けている.著書は他に『瀕湖脈学』『奇経八脈考』など.