←戻る
伊藤正男ら『医学大事典』(東京・医学書院、2003年3月1日)22項目執筆

『医学大事典』、真柳誠執筆項目
医宗金鑑・華陀・葛洪・金匱要略金蘭方啓迪集月湖張仲景東医宝鑑導引頓医抄原南陽不老長寿扁鵲抱朴子本草学本草綱目本草和名万安方薬徴病草紙李時珍
 

 医宗金鑑 イソウキンカン Yizong Jinjian
近世中国を代表する医学全書。全90巻。1742年の序刊。乾隆帝・高宗の勅により,呉謙ら医官が『傷寒論』『金匱要略』を中心とした治療医学を主眼に編纂。叢書形式の計15部からなり,民国時代まで教科書として広く普及した。
 

 華陀 カダ Hua Tuo
華佗[後世は華陀とも,カダ,Hua Tuo,2世紀中葉-3世紀初] 中国・後漢〜三国間の名医。字は元化。五禽の戯という導引法に優れ,麻沸散で麻酔手術をしたという。のち魏の曹操の命に背き獄死した。著書とされる『中蔵経』は後人の仮託。
 

 葛洪 カッコウ Ge Hong
葛洪[カッコウ,Ge Hong,283-343] 中国・東晋時代の学者。字は稚川,号は抱朴子。葛仙翁とも称された。丹楊句容(江蘇)の人。煉丹術を中心に医術・養生など神仙諸術を総合的に組織した。著書に『抱朴子』『神仙伝』『肘後救卒方』など。
 

 金匱要略 キンキヨウリャク Jingui Yaolue
金匱要略 中国医学と漢方の最古典の一つ。3巻。中国・後漢時代の張仲景が3世紀初に著した『傷寒雑病論』の雑病部分に由来し,傷寒病以外の症状・診断・治療・予後を論じる。1066年に林億らが初刊行した一種の復元本として現在に伝わる。
 

 金蘭方 キンランホウ  Kinranhou
金蘭方 菅原岑嗣[793-870]が勅により諸名医と共に撰した医書。早くに散逸した。現存諸本は後世の偽作。共編者名を挙げ,868年成立・50巻本とするのは偽作による俗説。
 

 啓迪集 ケイテキシュウ Keitekishuu
啓迪集 安土桃山時代を代表する医学全書。全8巻。1574年の成立。初代曲直瀬道三(1507-1594)の主著で,49書からの直接引文と約30書からの間接引文が科疏形式を交えて漢文で編纂される。引用書は明以前の各時代にわたるが,明医書の引用が大多数を占める。明代の主流だった李朱医学を体系的に整理した日本最初の書で,のち後世方医学の規範的書とされた。道三の自筆本が伝わるほか,1649年刊本と1995年刊の全訳本がある。
 

 月湖 ゲッコ Gekko
月湖[げっこ,15世紀] 室町時代の僧医。明にわたり銭塘(今の杭州)に住し,田代三喜(1465-1537)が留学時に師事したという。銭塘で自著の『全九集』を1452年に,『済陰方』を1455年に刊行したとされ,ともに江戸再版本のみ現存する。しかし両書は月湖に仮託して編纂された可能性が高く,月湖その人も虚構との説が有力。
 

 張仲景 チョウチュウケイ Zhang Zhong-jing
張仲景[チョウチュウケイ,Zhang Zhong-jing,2世紀後半〜3世紀初] 中国・後漢末の名医。南陽出身。名は機。字は仲景。医術を張伯祖に学び,官は長沙の太守に至ったという。3世紀末から名医として伝えられ,なかば伝説的人物。『傷寒雑病論』の自序では,205年ころまでの傷寒病の流行で親族の多くを亡くしたため,本書16巻を編纂したという。
 

 東医宝鑑 トウイホウカン Dongii Bogam
東医宝鑑[Dongii Bogam] 李氏朝鮮を代表する医学全書。全25巻。1611年成立,1613年初版。宣祖の勅命により,太医・許浚が明代を主とした中国医書と,李朝以前の医書にもとづき両医学を統合した書。内景篇・外景篇・雑病篇・湯液篇・針灸篇からなり、現代まで韓国伝統医学の根幹とされる。江戸時代・清代でも復刻された。
 

 導引 ドウイン Daoyin 
導引[ドウイン,Daoyin] 中国古代の健身術。『史記』等の古典籍から記載がある。呼吸により体内の濁気を排出して新鮮な気を取り込み,肢体・関節の運動で体内のすみずみまで血気を循環させ,健康の維持・促進をはかる。
 

 頓医抄 トンイショウ Ton’ishou
頓医抄 鎌倉時代の代表的医学全書。全50巻。1302年ないし1304年の成立。梶原性全(1266-1337)の編で,医学全般にわたる内容が和文で著された最初の大部な書。主に北宋の『太平聖恵方』に依拠するが,唐代の『新修本草』『千金方』や宋代の『和剤局方』『三因方』なども引用されるほか,一部に性全の意見も記される。
 

 原南陽 ハラナンヨウ Hara Nan’you
原南陽[はら・なんよう,1752-1820,宝暦2-文政3] 江戸後期の漢方医。水戸藩医,原昌術の子。名は昌克,字は子柔,通称は玄?(左はBig5コードの字,篇が王で旁が與の字)。南陽と号した。京都に遊学して山脇東洋に内科,賀川玄迪に産科を学び,江戸で開業,のち父のあとを継いで水戸藩医となった。著書に『叢桂亭医事小言』『叢桂偶記』『経穴彙解』『砦草』などがあり,創方した乙字湯は痔疾によく応用される。
 

 不老長寿 フロウチョウジュ perenial youth and longevity
不老長寿[perenial youth and longevity] 健康の維持・増進,病気予防と病後の回復,さらに長命をめざす技法と思想。紀元前から中国にあり,早くから食養が最重視され,運動術の導引と性交術の房中も実践された。魏晋南北朝から隋唐時代には生活全般の起居法,道家系の服石・煉丹,仏教の影響もある存思・内丹の神仙術が発展した。
 

 扁鵲 ヘンジャク Bianque
扁鵲[ヘンジャク,Bianque] 中国古代の伝説的名医。勃海郡鄭の出身。姓は秦氏,名は越人。『史記』の伝などでは前5世紀の前後数百年も活躍しているので,何代にもわたり各地を遍歴した医師団の通称だったらしい。
 

 抱朴子 ホウボクシ Baopuzi
抱朴子 不老長寿の仙術を解説した書。内篇20巻,外篇50巻。中国・東晋時代の葛洪(283-343)の著。317年ごろの成立。内篇は仙人になるための善行・房中術・導引・煉丹など,外篇は政治の得失や人事の善悪を論じる。
 

 本草学 ホンゾウガク Materia Medica, Bencaology, Herbology
本草学[Materia Medica] 薬物や有用物,さらに天然物全般の情報を集積し研究する分野をいう中国語。世界の体系的伝統医学にもある。本草の語は前漢時代に初出する。本とは本源の探求,草とは草薬をいい,これから薬物学を本草と呼んだとされる。現存最古の書は後漢時代の『神農本草経』で,他に宋代の『証類本草』や明代の『本草綱目』が著名。日本では奈良時代から本草学が研究され,江戸中期からは博物学的要素も強まった。
 

 本草綱目 ホンゾウコウモク Bencao Gangmu
本草綱目 中国・明代の代表的本草書。李時珍(1518-1593)の編纂。全52巻に1892種の天然物を載せる。1592年頃の成立で,1596年の初版金陵本が日・中・米に計11点現存する。通説では日本へ1607年に初渡来とされるが,1604年以前の渡来が正しい。現在まで中国・日本で夥しく復刻され,巨大な影響を与え続けている。本書は全てを自然分類で配列,博物・臨床などを強調するが,引用文には省略・誤謬が多く,注意が必要。
 

 本草和名 ホンゾウワミョウ Honzouwamyou 『輔仁本草』とも
本草和名 現存最古の日本人による本草薬名辞典。全2巻。918年ころの成立。『新撰字鏡』(898-901)に次ぐ漢和辞典でもある。撰者は侍医の深根輔仁。計1025品を収載し,その正名・異名と発音を隋唐以前の書から引用。和産があるものは産地,和産がないものは「唐」と記す。最後に和名を万葉仮名で記し,国語学でも重視される。
 

 万安方 マンアンホウ Man-an Hou Man’anhou
万安方 鎌倉時代の代表的漢文医学全書。全62巻。梶原性全(1266-1337)の編。初稿の50巻本は1315年ごろ,最終稿は1327年に成立。主に北宋の『聖済総録』に依拠するが,ほかにも宋版医書を多数利用,また『傷寒論』と『紹興本草』を日本で最初に引用した。のち性善の他の単行書が後付されたため,現行本は62巻本。
 

 薬徴 ヤクチョウ Yakuchou
薬徴 吉益東洞(1702-1773)が著した薬物書。全3巻。1771年(明和8)成立。初版は1785年(天明5)。東洞の代表作の一つ。同一薬物を含む『傷寒論』『金匱要略』処方の主治条文を解析し,計53薬の効能を帰納的に論定した書。従来の伝統的本草書と全く異なる革新的手法による薬物論のため,当時から現在まで強い影響を与えている。
 

 病草紙 ヤマイノソウシ Yamainosoushi
病草紙 平安末期・鎌倉初期の絵巻物。『病草子』とも。紙本着色,縦26センチ。当時の疾病観や医療を窺うことができる。愛知県関戸家に伝えられた1巻を中心に,戦後,分段して額装され,各地に計21段が分蔵される。多くは国宝ないし重要文化財。各段は奇病・身体異常・治療などの赤裸々な絵と,対応した短い仮名文の説話からなる。画風より複数の絵師が想定されるが,いずれも12世紀末期の特徴を示す。『地獄草紙』『餓鬼草紙』の一部と形式が類似することから,人間界の苦悩を描いた六道絵の一種ともみられる。『異疾図』『奇疾図』などと題した絵のみの白描模本もあるが,関戸本系とは内容が異なる。
 

 李時珍 リジチン Li Shi-zhen
李時珍[リジチン,Li Shi-zhen,1518-1593] 明代の本草家・医家。字は東璧。号は瀕湖。父の李言聞も医家だった。進士をはたせず,医を業として名声を博し,太医院に召されたが,1年で辞して本草研究に専心。『本草綱目』52巻の初稿を1578年,最終稿を1592年頃に完成させた。著書は他に『瀕湖脈学』『奇経八脈考』など。