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真柳誠・森田傳一郎・小曽戸洋「防已か防己か」、日本東洋医学会第43回関東甲信越支部総会、1992年11月8日

防已か防己か

北里研究所・東医研  医史研 真柳  誠,森田  傳一郎,小曽戸  洋

[目的]わが国で防已(ボウイ)と呼称するのは、中国で防己(ボウキ)と表記する漢薬に相当する。いずれかが已(イ)と己(キ)の字形類似による文字変化と思われるが、現在まで確定的な論証はなされていない。そこで防已と防己の相違が生じた歴史について検討することにした。

[方法]なるべく後代の手が加えられておらず古い字形を保持した医書の記載を調査した。

[成績]この薬名は2世紀頃の『神農本草経』が初出で、それ以前の出土文献には異名や字形・字音の類似した薬名も発見できなかった。以後の中国では西域で出土した唐前後の文書、仁和寺本『新修本草』などに本薬の記載がある。日本文献では今のところ 918年頃の『本草和名』以降で、それ以前の正史などに記載はなく、これまで発見された飛鳥・藤原・平城宮出土の木簡や法隆寺・正倉院の文書にもなかった。一方、両国の文献は己・已・巳をほとんど字形上の区別なく書写し、文字の相違は前後から判別されるにすぎない。これは後代の印刷物でのみ伝わる『傷寒論』などもまったく同様である。しかし発音は3文字とも異なり、字音を音通の別字で示した記載が発見された。中国・6世紀頃『雷公炮炙論』の「木条以(木防已)」、日本・984年『医心方』の「防已、音以」がそれで、日本・1715年の『和漢三才図会』にも「ぼうい」の発音が注記されていた。

[結論]中国唐以前では防已(ボウイ)と表記された可能性が高く、日本は平安時代から現代までそれを保持していることが明らかとなった。