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真柳誠・矢数道明「清・中華民国時代に受容された日本の腹診学」
(日本東洋医学会第43回学術総会、1992年5月16日)『日本東洋医学雑誌』43巻1号142頁、1992年7月

清・中華民国時代に受容された日本の腹診学

〇真柳誠,矢数道明(東京・北里研究所附属東洋医学総合研究所)


目的:日本漢方の独自性の一つである腹診は、現在、中国で衆目を集めている。一方、日本漢方が中国に知られた明治維新後の清末〜中華民国時代、すでに日本腹診書が復刻されていたことは日中ともに忘れ去られようとしている。演者はかつて当事実を報告したが、今回は日本腹診書が当時の中国で受容された経緯の訪中調査結果を報告する。

方法:現存する日本腹診書の清版・中華民国版を中国各図書館にて捜索し、その出版と受容の経緯を調査検討した。

成績:多紀元堅の腹診書『診病奇{イ亥}』について、清・中華民国間の中国版が以下の3種確認された。1.光緒14年(1888)王仁乾刊本。2.民国20年(1930)蘇州国医社刊本。3.昭和10年(1935)台湾漢医薬研究室刊本。天保14年(1843)に成った『診病奇{イ+亥}』は大部分が和文であるが、未刊行のまま明治を迎えている。多紀元堅の子・雲従の弟子で温知社幹部だった松井操は、医理に通じた駐日清朝公使館員の沈梅史や李朝公使館員の感洛基より腹診が両国にないことを知り、腹診を普及させるために本書を漢訳。明治初に来日し、浅田宗伯らの診療を受けて腹診を知り、当時中国で復刻された多紀元簡・元堅の著書に感服していた書店「淩雲閣」の経営者・王仁乾(タ齋。弟の王治本は清朝公使館の臨時随員)らが、松井の希望をうけて漢訳本を日本で印刷し中国に頒布したのが1.である。2.は浙江中医専門学校の教材として1.の漢訳を王慎軒が校訂し、『診断学講義(重訂漢訳診病奇{イ亥})』の書名で出版したもの。3.は日本の統治下にあった当時の台湾で、漢医制度復活運動の一環である講義の教材として、蘇錦全が『診腹学講義』の書名で2.を再版したもの。石原保秀が1.などに基づき、わが国で初めて本書を出版したのは3.の9か月後である。

結論:明治〜大正間の漢方暗黒時代、日本の腹診学は、逆に清・中華民国時代の学者・臨床家に注目評価されていた。さらに教材、あるいは漢医制度復活運動の支えとされていたことも明らかとなった。