〇真柳 誠、矢数 道明(東京・北里研究所附属東洋医学総合研究所)
緒言:曲直瀬はマナセと読ませるなど特殊な姓である。またこの姓は曲直瀬道三以前になく、道三が初めて使用したと考えられている。しかし道三が父姓の堀部から、曲直瀬と改姓した理由は知られていない。そこで「曲直瀬」姓の由来を考察した。
方法:「曲直」に関する語彙の出典と用例を調査し、曲直瀬関係古文書の記載と比較検討した。
結果:「曲直」は中国戦国時代の『書経』洪範篇にある五行の記述が出典で、「木は曰く曲直」とある。また「直は清」という用例の出典が『書経』尭典篇にある。一方、道三著『啓迪集』の「啓迪」も、出典は『書経』の太甲篇と戌有一徳篇である。
考案:かつて矢数は曲直瀬家二代目玄朔の講義録で、『東井御釈談』と名付けられた古文書の記述を報告した。本書には「曲直瀬は道三の名字なり。私のつくり名字なり。(蘇)東坡に『上流直にして清く、下流曲にして渭なり』ということあり。その心を以て付けたるなり」の記述がある。渭とは渭曲・渭濁の語彙もある河の渭水なので、『書経』の「直は清い」を発展させ、上流の直・清と下流の曲・濁を蘇東坡は形容している。そしてこれより道三が曲直瀬の姓を考えたと理解される。ただし蘇東坡の文章の語順に従えば、曲直瀬ではなく「直曲瀬」となる。実際そのほうが「(医学の)曲りを直す」と訓読され、意味も都合がよい。しかしそうではなく、語順を「曲直」とした背景には、『書経』洪範篇の「木は曰く曲直」が考えられる。洪範篇の当部分は医学と関連する記載があり、道三は同じ『書経』から「啓迪」の語彙も自著や家塾に使用するので、この可能性は高い。もしそうであるならば曲直とは五行の木、つまり東方の比喩である。すると曲直瀬の姓には「東方(日本)の瀬(流れ)」という、道三のひそかな願望が隠されていたのかも知れない。
総括:曲直瀬の姓は、蘇東坡の文章と『書経』洪範篇の双方に由来する可能性が考えられた。