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『漢方の臨床』47巻5号642頁(2000年5月25日)

日本東洋医学会誌 同学会京都大会ランチョンセミナー講演要旨(2000年6月24日) 

医史学より見た日中伝統医学の継承と発展

−乖離の史的認識から相互理解へ−

茨城大学教授/北里研究所客員部長 真柳 誠


 現在、日本では様々な伝統医療が行われているが、とりわけ日本式と中国式の相違がしばしば問題視されたり、矛盾を惹起しているように見受けられる。

 中国に行っても、なぜかと質問されることが多い。これは相互理解がある程度進んだ結果といえる。しかし日本式や中国式をより深く見聞したところで、一層の相違に直面するだけで、それが何に由来するかの説明はあまり聞かない。

 むろん日本では中国が思弁主義で、日本が実験主義といい、中国では日本が没理論で、中国が理論的と、批判的に形容することもあった。が、これでは先に進まない。やはり双方の歴史から懸隔が生じた背景を理解すべきだろう。

 とはいっても、日中とも自らに不都合な歴史は教科書レベルで書かれないためか、無自覚な部分も多い。たとえば日本は中国医学を取捨選択し、日本化を達成したことは知られている。その一方で中国医学を不断に導入・研究していたこと、日本化は多面に及んだこと、昭和以降は復興の容易な部分から継承されたこと、かつ近現代医学の影響を受けたことへの認識が全般に欠けている。

 現中医学の基本体系も近現代医学の影響下で中華民国時代に形成されたが、そこには江戸時代の古典籍研究と昭和初期の漢方・針灸研究が少なからず導入され、当影響は現代にも及んでいる。しかし民国期の形成史は新中国の政策で、日本の影響は日中戦争のため闇に葬られ、もはや今の中国で知る人はほとんどいない。

 近代以降、日本では近現代医学を修めた者が伝統医療の主体となったが、中国では専門伝統医師が存続しえた。この主体の相違が伝統の継承と近現代医学の受容に反映し、両国に乖離が生まれた一因なのである。しかしインドの伝統医学に比すなら日中の差はわずかであり、それも多くは20世紀の産物に過ぎない。

 伝統医学は二千年前の経験でも現代の臨床に応用できることに魅力と価値がある。まさしく両国は互いに影響しつつ、この医学文化を継承・発展させてきた。その歴史経緯を双方が真摯に認識することこそ、相互理解の第一歩といえよう。