金沢文庫の称名寺伝来古文書には医書も少なくない。うち第401函に収められる2軸には、かつて斯界にほとんど知られていなかった医学文書がある。ただし同文庫学芸員の西岡芳文氏のご教示により、当文書については関靖『金沢文庫の研究』(1951)313-316頁(以下、『研究』という)に、故・石原明氏の意見を参考にした紹介がなされていたことを知った。そこで『研究』と西岡氏のご教示も参考に、第401函の2軸について報告したい。
文書1:一枚の断簡で、内容から古医書の目次と推定される。ただし、その本文に該当する文書は伝存しない。『研究』では『仮名万安方(頓医抄)』巻50の目次に類似記載があるという石原氏の教示、および金沢文庫古文書に『頓医抄』の貸借に関する記述があることから、当断簡と『頓医抄』との関連を推察する。妥当なところではあろうが、類似した目次の項目は『医心方』『遐年要抄』『長生療養方』『衛生秘要抄』という中世以前の日本医書にもあり、『頓医抄』のみに限定するのは難しいかも知れない。
文書2:1軸の巻子本で、外題に「五臓六腑医書 要字抄出」とあり、「解剖書等」の仮題も与えられている。紙背は寂澄(ジャクチョウ、1228-1301-?)手沢の『菩提心論要文』で、寂澄には安房清澄山での奥書本があり、日蓮との関連が考えられる学僧という。『研究』は石原氏の調査により、具平親王『弘決外典鈔』(991)巻4第9の内容を説明したものとし、次のように記す。
(両者の)項数に二項の相違はあるが、胞以下の順序は極めて類似している。全然その項数を異にしているのは薄皮厚皮筋・肉骨髄・三焦の三項だけで、他は一つを二つに、二つを一つに合別しただけで、更にその釈文を比較することに於いて、所々に二三字の出入があるだけで、先ず殆ど同一である。強いてその相違点を拾って見ると、金沢本には往々『安驥云々』の釈文が添えられていることである…。ほぼこれで当文書の性格は尽くされているが、注目すべきことが二点ある。第一は当文書と現伝の『弘決外典鈔』との文字の相違で、しばしば当文書に妥当なものが認められる点である。その文章は『弘決外典鈔』がすでに散逸した中国医書の『明堂経』等より引用したものなので、『弘決外典鈔』の研究のみならず『明堂経』の復原にも当文書の価値は大きい。第二は中国馬医書の『安驥集』が引用されている点で、その日本における受容を示すかなり早期の史料として注目される。