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真柳誠・関信之・肖衍初・森田傳一郎「中国に保存される日本伝統医学文献の孤本」『日本医史学雑誌』38巻2号215-217頁
日本医史学会第93回学術大会、1992年6月5日、


中国に保存される日本伝統医学文献の孤本

真柳誠・関信之・肖衍初・森田傳一郎

 江戸末期までに著された日本の伝統医学文献は厖大な量に達する。それらは明治維新以降の伝統医学廃止政策により実用性を失い、多くは無用の長物と化した。この結果、巷間にあふれた書は他の文化財と同様、一部は海外に流出した。

  一方、中国では明治政府のような伝統医学廃止政策が実施されなかった。そのため日本の伝統医学文献は中国で価値が認められ、相当量が購入されている。最も顕著な例は大部分が台北の故宮博物院に収蔵されている楊守敬の購入書で、これらについては演者らもすでに報告を重ねた。しかし中国本土の収蔵状況は、かつて全面的調査や検討がなされていない。また近年は中国各図書館の書籍整理も比較的進み、閲覧調査できる可能性が以前より高くなった。

  そこで演者らは中国における日本伝統医学文献の収蔵状況を、まず蔵書目録で確認しうる計六○図書館について予備調査した。次にそれらと日本の収蔵状況を比較検討し、貴重と認められた文献について代表的図書館にて実地に調査した。

  調査に用いた資料は北京図書館『中医図書連合目録』、中国中医研究院図書館『館蔵中医線装書目』、『上海中医学院中医図書目録」、『北京大学図書館蔵医学書目』、および『国書総目録』『古典籍総合目録』『医学古書目録』『杏雨書屋蔵書目録』などである。実地調査は、中国中医研究院・中国医学科学院・北京医科大学・上海中医学院・上海第一医科大学・中華医学会上海分会の各図書館にて行なった。

 この結果、中国各図書館に収蔵される日本の伝統医学文献は、日本刊本ないし日本写本の書目数で七五一種あり、総数ではその数倍以上に達すること。さらに中国で復刻された日本の伝統医学文献も書目数で二○二種あり、以上の重複を除き総計すると全八八四書目に達することが知られた。

  次にそれらと日本での収蔵状況を比較した結果、写本三八種・刊本六種が日本の蔵書目録に発見しえなかった。この内、明らかに孤本と考えられた主要書について、以下の知見が得られた。

  @吉田宗恂(意安)『運気一言集』四巻、承応三年(一六五四)刊本、南京図書館所蔵。故宮博物院の旧蔵書はかつて国民党政府の移動に伴い、南京で一部が分離され、その多くが今の南京図書館に所蔵されている。すると本書は楊守敬の購入書であった可能性も考えられる。『国書』は『群書備考』を引き、宗恂に『運気諸論図』の著作があったことを記す。

  A穂積惟正『刪正黄帝脈書』四巻、立立塾写本、中国医学科学院図書館所蔵。倉公伝注釈・王冰素問序・素霊考・上経・下経の内容が記される。

 B山田業広『難経本義疏』五冊、明治五年(一八七二)山田業広自筆稿本、中国中医研究院図書館所蔵。本書は『中国医学書目』にも著録されるので、満州医科大学中国医学研究室の旧蔵書である。

  C著者不詳『銅人経穴骨度図』一冊、江戸後期頃写本、中国中医研究院図書館所蔵(寅五四―一九二五)。「難経本義』『類経』の経脈図を、身体部位別に彩色で示したもの。本書は『続中国医学書目』にも著録されるので、満州医科大学中国医学研究室の旧蔵書である。

  D湛斎先生『診要金屑』二巻・補遺一巻、寛保三年(一七四三)東都書坊文円堂浅倉屋久兵衛刊本、中国中医研究院図書館所蔵(申二四―一七四一)。本書は『中国医学書目』『続中国医学書目』に著録されていない。

  E著者不詳『痘疹経験要方』二巻四冊、寛政七年(一七九五)刊本、北京大学図書館所蔵(李七六二)。李盛鐸の旧蔵書なので、彼が明治三一〜三四年(一九○五〜○八)の来日時、島田翰の紹介で購入したと思われる。

  F卜元学『医方漫録』一巻、弘化二年(一八四五)写本、中華医学会上海分会図書館所蔵。伝承経緯等は不詳。

  以上のうち特に@は歴史的、Bは内容的に貴重性が認められた。今後、再評価されることが期待される。

  なお本調査研究は(財)日中医学協会の助成金によった

(北里研究所附属東洋医学総合研究所・医史文献研究室、二之沢病院)