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真柳誠「趙開美の『仲景全書』と『宋板傷寒論』」『日本医史学雑誌』52巻1号144-145頁、2006年3月

趙開美の『仲景全書』と『宋板傷寒論』

真柳 誠(茨城大学人文学部)

On the “Zhongjing Quanshu” and the “Songban Shanghan-Lun” published by ZhaoKaimei

Makoto MAYANAGI


 日本・中国ともに伝統医学の最基本古典とされる三世紀の『傷寒論』は、北宋時代の一〇六五年に大字本が初刊され、一〇八八年には小字本が翻刻された。ただし両北宋版やそれ以前の写本は現存せず、南宋で翻刻された形跡もない。一方、明・万暦年間の趙開美は一五九九年に序刊の『仲景全書』に『〔翻刻宋板〕傷寒論』を収載、当版には小字本の進呈文があり、底本は小字本系と推定される。つまり現代に宋版の旧を伝える『傷寒論』は趙開美本しかない。

 『仲景全書』は幕末の『経籍訪古志』が紅葉山文庫蔵本を趙開美本として著録して以来、中国でも注目され、いま国立公文書館内閣文庫に伝えられている。一方、現在は台北故宮博物院・北京国家図書館・北京中国中医研究院・北京中国科学院・瀋陽中国医科大学・広州中山医学院にも趙開美本ないし万暦刊本が各一組あると著録される。しかし各本の比較研究はかつて一切なされていない。

 そこで各本を実地に調査したところ、中国科学院本は趙開美本と構成書目も異なる和刻『仲景全書』だった。さらに内閣文庫本と酷似するが、明らかに別版の趙開美版二種が知られた。第一種A版は中国中医研究院本、第二種B版は中国医科大学本(先印)と台北故宮博物院本(後印)で、北京の国家図書館本は旧北平図書館本(現台北故宮本)のマイクロフィルムだった。中山医学院(現中山大学)本は図書館の移転中で調査不能だったが、目録には明・文陞閣校刊本二〇巻とある。

 さてA版とB版の『〔翻刻宋板〕傷寒論』には「世譲堂/翻刻宋/板趙氏/家藏印」の木記や「長洲趙應期獨刻」の刊記、下象鼻に「趙應期刻」「姚甫刻」など刻工名があり、全て白魚尾。趙應期は趙開美の他の刊本にも参加した刻工なので、A・B版は趙開美版に相違ない。両版の文字は数カ所が相違するだけで、他は版木や罫線の割れ方まで一致する。

 特徴的な相違は第一巻一〇葉ウラ第二行末尾の小字割注で、A版は「腎謂所/勝脾。脾/…」、B版は「腎為脾/所勝。脾/…」に作る。よく見るとA版の「謂所/勝脾」部分を、B版は埋め木で「為脾/所勝」に彫り直していた。文意もB版が通る。ならばA版が趙開美の初版で、B版はその修刻本である。

 一方、内閣文庫本C版の刻字はA・B版と似るが、木記・刊記・刻工名が一切なく、一部は黒魚尾である。また不詳文字を未刻の墨丁にするなど、『仲景全書』全体でA・B版とは百ヶ所以上の相違があり、完全な別版だった。さらに上述の小字割注を「謂所/勝脾」に彫る等の一致から、A版を底本に翻刻したのがC版と分かる。C版は承応元年(一六五二)に紅葉山文庫へ入庫しているので、明末清初の所刊と推測される。中山大学本も、あるいはC版かもしれない。

 なお和刻『仲景全書』は五版元から印行されているが、基本的に同一版本である。その特徴から所収『集注傷寒論』の底本はB版で、日本にてC版で校異したらしい。和刻の『宋板傷寒論』では、安政三年(一八五六)の堀川本がC版の影刻と従来から知られていた。いま調査すると、寛文八年(一六六八)岡嶋玄提本と寛政九年(一七九七)浅野元甫本にもC版の特徴がみられた。

 『経籍訪古志』の編者らはこうした比較が不可能だったため、C版を趙開美本と誤認し、それが一五〇年近く日本・中国ともに信じられてきた。ついては現内閣文庫のC版『仲景全書』本『〔翻刻宋板〕傷寒論』が影刻や影印され、今もテキストとされている。

 なおA版は一九九七年と二〇〇一年に北京で一〇〇部が影印出版された。B版は先印の中国医科大学本、後印の台北故宮本ともいまだ影印出版されていない。今後は宋版の旧を伝え、誤刻が最少の趙開美B版『〔翻刻宋板〕傷寒論』を研究のテキストとすべきだろう。

*本研究は平成十五・十六年度科研費特定領域研究(二)「東アジアにおける医薬書の流通と相互影響」による。