真柳誠「日中医学交流史と日本の貢献」『平成21年度日本東洋医学会関東甲信越支部
千葉県部会講演要旨集』10頁(指定講演、2010年1月24日、三井ガーデンホテル千葉)
日中医学交流史と日本の貢献(要旨)
茨城大学大学院人文科学研究科 真柳 誠
日本は6世紀の仏教伝来と前後する中国学芸との本格的接触以来、約1500年にわたり中国医学を受容し続けてきた。しかし地理的に医人の往来は稀で、主に「文献を介した受容」だったことが他の周縁国と違う。また気質・体質の相違もあり、明瞭な日本化が10世紀から始まり、18世紀には日本の独自性が明瞭となった。さらに明治後期から大正時代まで約30年間の断絶・暗黒時期を経て、昭和初期から近現代医学も援用した漢方・針灸が形成され、現代に復興している。
一方、日本は遣隋使の時代から幕末まで中国医書を輸入し続け、その多くを現在まで保存してきた。中には中国で失われた文献もある。これらは本国で散佚し、国外に伝存したことから「佚存書」と呼ばれる。平安〜室町時代の医薬書にも散佚書の引用が多い。幕末にはこうした書に基づく高度な古典研究がなされ、日本の研究成果と伝存の古医籍は明治以降に中国へ還流し、多くが復刻されて現代中国医学の形成に寄与している。
これら現象は一面、明治以降に伝統医学古典籍の価値が失われたことを背景とする。その結果、佚存書も含めてこれまで中国に還流した中国医書は296種、伝入した日本医書は751種で、いま中国にある日本旧蔵の古医籍は約4000部・数万冊以上と推定された。和刻版木が輸出され、それで印刷された中国医書は9種、日本医書は14種、朝鮮医書は2種をかぞえる。
そこで全世界に所蔵される中国系古医籍の状況について調査したところ、中国大陸に約一万種の中国古医籍があり、日本にあった約一千種のうち153種がいまだに佚存書だった。さらに3種の大陸散佚書が日本と欧米に、19種が日本と台湾に共通してあった。そこで日本所蔵の佚存と貴重な古医籍すべてをマイクロフィルムとして中国に里帰りさせ、1500年におよぶ学恩にいささかなりとも報いることができた。
中華民国以降の中国医学体系化や針灸の復興、現代中国の実験研究・古典研究や製剤まで、日本の貢献と影響は広く深い。その代表例についても紹介させていただきたい。
まやなぎ まこと 茨城大学教授。1950年生まれ。東京理科大学薬学部卒、博士(医学、昭和大学)。日本医史学会理事ほか。専攻は中国と日本の医学史・古医籍書誌学。共編著に『〔日本版〕中国本草図録』『和刻漢籍医書集成』『〔善本翻刻〕傷寒論・金匱要略』など。2010年6月には日中韓医史学会合同シンポジウムと第111回日本医史学会学術大会を主催する。