←戻る
真柳誠「経穴部位標準化の歴史的意義」、第二次日本経穴委員会主催 「WHO/WPRO標準経穴部位公式版発刊記念講演会 Commemorative Lecture Meeting for Publication of WHO Standard ACUPUNCTURE POINT LOCATIONS in the Western Pacific Region」 の招待記念講演、2008年5月30日、京都・国立京都国際会館。第二次日本経穴委員会編『同講演会要旨集』11頁、2008年5月30日。


経穴部位標準化の歴史的意義

真柳 誠

 上古の中国では気の思想とともに経脈概念が徐々に形成され、紀元前2世紀より以前には邪気(陰)に対する灸(陽)が四肢の経脈部位に行われている。そして『素問』『霊枢』の前身が紀元1世紀頃に成立し、経脈概念を12ヶ月と同数の正経12脈および任脈・督脈に整理した。経穴は両書に130ほどしかないが、当時は金属鍼の普及を背景に穴数も増えていたので、365日の数を理想としている。この概念統一が第一次標準化だった。それに基づく第二次標準化として、2世紀頃の『明堂経』で初めて正経12脈と奇経8脈に属する約350穴に学説が整理された。しかし以後も異なる概念や学説が生まれ続けている。

 こうした混乱ゆえ、北宋政府は『銅人腧穴鍼灸図経』を1026年に編纂し、第三次標準化として14経・354穴を国家レベルで確定した。だが以後も経穴を記す各書で微妙な相違が生じた。さらに漢字文化圏各国では、重視した中国典籍の相違に加えて独自の経験も重なり、現代までに複雑な相違ができている。第一次の概念レベルも第二次の学説レベルも第三次の国家レベルも、けっきょく主観に基づく標準化ゆえ後々相違が生じたのだった。

 当問題の解決は1980年に始まるWHOの伝統医学プログラムもあり、1989年の標準361穴の表記統一、さらに今回の部位標準化によって達成された。客観性を備えた第四次の標準化が世界レベルでなされたことは、まさに科学の歴史を典型的に示している。