真柳 誠
一 所蔵
国立公文書館内閣文庫(子四五 函一三号)
内閣文庫は数多くの善本医薬古籍を所蔵している。それらの根幹は、(一)徳川歴代将軍家蔵書である紅葉山文庫(楓山秘府)の旧蔵書、(二)幕府の官立医学教育研究機関で多紀氏の主宰した「江戸医学」館の旧蔵書、(三)幕府の総合教育大学とでもいうべき、もと林羅山の私塾であった昌平坂学問所(昌平黌)の旧蔵書である(1)。今回この『金匱要略方論』を影印復刻するにあたり、底本とした明刊趙開美原刻『仲景全書』は紅葉山文庫旧蔵書である。『御文庫目録』によると、本『仲景全書』は中国から舶載された後、承応元年(一六五二)に紅葉山文庫に入架されている(2)。当時この他にも民間に輸入されていた形跡は窺えるが(3)、わが国に現存するのはこの紅葉山文庫旧蔵書のみである。
ちなみに本『仲景全書』は本国の中国でも四組現存するにすぎない(4)。また本『全書』中のいわゆる趙開美本『宋版傷寒論』は、「江戸医学」館の手により幕府より借り出され、これに句点・返り点が附されて安政三年(一八五六)に模刻出版されたことがある。しかし本『全書』所収の『金匱要略方論』は、江戸から現代に至るまで、わが国ではなぜか一度も覆刻や復刊されたことがなかった。
二 趙開美原刻『仲景全書』
本『仲景全書』は、明の趙開美が万暦二十七年(一五九九)刻刊したものである。収められた医書は、(一)宋版『傷寒論』十巻、(二)『金匱要略方論』三巻、(三)金・成無己『註解傷寒論』十巻、(四)金・宋雲公『傷寒類証』三巻の四種合二十六巻である。その匡郭は各書によりやや異るようだが、おおむね毎半葉縦十八・四センチ、横十三・二センチとなっている。
(一)の『傷寒論』は趙開美の「刻仲景全書序」によると、直接に宋代の刊本によって翻刻したとされている。『傷寒論』が刊本とされたのは宋代に至ってからであり、その宋刊本も現代に伝わらないのであるから、この趙開美本『傷寒論』の価値は極めて大きい。本書も近年中に影印復刻される予定である。
(三)の『註解傷寒論』は、序によれば趙開美が最初に入手し、翻刻を決意した書である。内容はいうまでもなく、金の成無己が『傷寒論』の逐条について「内経」流の注解を施した、初めての『傷寒論』全注書である。本書が日中傷寒論研究に与えた影響は大きく、両国で金から現代に至るまで幾度も翻刻されている。近年中国の人民衛生出版社は、本版本の『註解傷寒論』を縮小影印している。だが本版本は誤刻が多く、必ずしも善本とは評されてしない(5)。
(四)の『傷寒類証』は五十門に分けた症侯から、それに該当する処方を捜し出す索引のようなものである。『傷寒論』研究に益なしとして歴代の評価は低い(6)。
ところでこの趙開美原刻『仲景全書』全体はその後、日本や中国で翻刻されたことは一度もない。それゆえ貴重なのだが、これとは全く別の『仲景全書』が江戸時代に幾度も刻刊されている。本別版は江戸の書賈が趙開美の『仲景全書』に手を加えた坊刻で、清末に和刻本が逆輸入され二度ほど翻刻されている。筆者の親見したものには『金匱要略方論』、趙卿子『集註傷寒論』、宋雲公『傷寒類証』の三種を収めた和刻版と、これに更に戒無己の『傷寒明理論』と清・曹楽斎の『運気掌訣録』を加えて五種とした清版がある。
この両別版『仲景全書』に収められる『金匱要略方論』は、いずれも一見すると趙開美の『仲景全書』本と思われるような体式となっている。だが精査すると、趙開美本と後述する兪橋本の二版本を、注記もせず無定見につぎはぎした劣悪なものである。江戸時代に真本の趙開美本『金匱要略方論』の存在を知らなかった医家達は、この劣悪な『金匱要略』を趙開美本と誤信し、これを用いて他版本と校勘するなどの愚まで犯してしまっていたようだ(7)。
三 『金匱要略』の諸版本
『金匱要略』の最初の刊本は、北宋の儒臣・林億らが治平三年(一〇六六)頃に校訂し、国子監より刻刊されたものである。だがそれは早期に散佚したと思われ現伝しない。次の南宋にも坊刻本があったことを、後に述べる諸版本の様式等から知れるが、これも伝存しない。筆者等のこれまでの検討によれば、現在通行する『金匱要略』は、(一)ケ珍本系、(二)兪橋本系、(三)徐鎔本系の三系統五版本に全て由来していることが明らかになっている(8)。
(一)ケ珍本系
この系統では元刻本と趙開美本の二版本が現存している。元刻本は元のケ珍が至元六年(一三四〇)に序を附して刻刊したもので、中国の北京大学図書館に唯一現存する(9)。だが未だ一般に公開も出坂もされていない。筆者の実見によれば、書名を『新編金匱方論』とする特徴のほか、様々な点で南宋本の旧態を残している。また誤刻も割合少ない。現存最古の版本ということもあり、現在最も覆刻の望まれるものである。このケ珍本を底本に刻刊されたのが、今回ここに影印した趙開美本である。この趙開美本の第一の特徴は、基本五版本中では、明らかな誤刻や脱落の少ない点である。しかしそれでも二十近い誤刻や脱落が発見されている(10)。処方名に関するものは添附した目録と索引で正しておいたので、その他のものを以下に列記しておこう。
上2a六行目下より三字日の「遣」→「遺」第二の特徴は全体で字体に統一があり、俗字が割合少ない点であろう。第三には字画が端正で、宋板を彷彿させることである。もちろん他版本に比して欠点がないわけではない。だがそれらの多くは北宋原刊本の体式を保持するか、しないかという書誌学上の問題に帰し、一般の使用には大きな問題ではない。
上3a八行目上より三字日の「陰」→「陽」
上5a五行目下より一字目の「{ヤマイダレ+至}」→「痙」
上21a六行目下より一字目の「豆」→「頭」
上21b二行目に「附方」の二字を入れる
上37b三行目上より八字目に「痛」を附す
中19a四行目上より十字目の「薬」→「柏」
中24b三行目の小字「消渇」→「痰飲」
中30b八行目上より二字目の「腎」→「緊」
下2b三行目下より六・七字目の「不血」→「{血+不}」
下19a五行目下より一字目の「喫」→「熬」
下29a四行目の左側細字「{ニンベン+方}屋草」→「傍無他草」
(二)兪橋本系
この系統にも二種の版本がある。その一つは明の嘉靖年間(一五二二〜六六)に兪橋が序を附して刻刊したものである。原本の所在は現在確認不能であるが、一九二九年に影印された『四部叢刊〔初編〕』第二版に収められている。これに基づき近年日本でも再影印されたものが販売されている。本版本の特徴が、書名に「新編」の二字を附すこと、各巻頭での仲景・叔和・林億各名の記載順、等の体式で濃厚に宋版の旧態を保っていることである。しかしそれと典拠としての使用に耐え得るかは別問題である。本書は字体こそ南宋に似るが俗字や誤字、脱落の多さは枚挙にいとまがない。あくまでも『金匱要略』の書誌研究や校勘等においてのみ価値を持つ版本といえよう。
いま一種は、明の無名氏刻本である。これも元刻本同様、昨今まで現存が危ぶまれていたが、筆者らにより北京の中国科学院図書館と台湾故宮博物院図書館に架蔵されているのが発見された。本版は多くの点で兪橋本と共通するばかりか、目録の配列などで元刻本とよく符合する処がある。だがその誤字の夥しさは諸版本の最たるもので、これも兪橋本同様に書誌の研究・校勘・考証以外の目的には適さない。
(三)徐鎔本系
この版本は明の万暦十三年(一五八五)に徐鎔が古本と新本の二種を校合して底本を作成し、万暦二十九年(一六〇一)に呉勉学が『古今医統正脈全書』に編入刻刊したものである。比較的多く流布し、原版本は日中両用ともに多く現存している。また近代にはその影印が一九一九年の『四部叢刊〔初編〕』第一版に収めらほか、現代までに多種のこれに基づく排印本等が中国や台湾から出版されている。
当版本を精査してみると、徐鎔が校合した二種の版本とはケ珍系と兪橋系であることが知られる。一見すると文意も理解しやすく、比較的宋版の旧態を保っているようにも思える。だが個々の文字には徐鎔が意を通りやすくするため、恣意的に手を加えたと考えられるものがしばしば見られる。また誤刻も少なくない。この意味で、一番流布はしているものの、徐鎔本は典拠としても書誌学の資料としても問題の少なくない版本である。
以上述べてきた如く、『金匱要略』の基本版本三系統五種は各々に優劣つけがたく、いわゆる善本というべきものは現存しない。だが北宋や南宋の刊本も伝存しない以上、目的に応じてそれらを使い分けるべきだろう。つまり内容の理解と研究にはケ珍本系をテキストとし、要所要所を兪橋本系で校勘するのが望ましい。
もちろんそれは刊本になった北宋以後の異同を同定するにすぎない。当然のことながら、それ以前の異同を検討することも内容の正確な吟味には必要である。そのためには『傷寒論』『金匱玉函経』『脈経』『千金方』等による校勘も場合によっては考えるべきであろう。
四 覆刻注記
本書の覆刻は上述の理由もあり底本に趙開美本を選び、内閣文庫所蔵本を最も理想的な影印で、しかも現寸大の線装本とした。またなるべく原本の現状を再現するようにつとめたので、おおむね原姿を複製し得たことと思う。
だが原本は下巻の最終一葉(下31a・31b)が脱落している。したがってこの部分には同一版本の人民衛生出版社影印本(一九五六)で補填した。また本版本の目録は処方が完全に採られておらず、所出頁も示されていないので、新たに目録、及び処方索引も作成し、それぞれを巻頭と巻末に添附した。更に本版本は『仲景全書』中の一書であるので、そのことを明示する目的で趙開美の「刻仲景全書序」の全文も前附することにした。このほか、原本の版心は歴年の汚損で、巻次、葉次が判読し難くなっている。そこで検索の便を考慮し、各葉の版心下左右にその巻次と葉次と表裏を横書きに明示した。なお内閣文庫所蔵本は上冊に上巻、下冊に中・下巻を綴じている。本書もそれに準じ、上冊に処方新添目録・刻仲景全書序・ケ珍序・林億等序・原目録・本文上巻を収め、下冊に本文中巻・本文下巻・解題・処方名索引を収め計二冊に綴じた。
〔謝辞〕本書の影印復刻を許可された国立公文書館内閣文庫に深申し上げる。
〔参考文献および注〕
(1)福井保:内閣文庫小史、内閣文庫図書分類目録附載、一九七五。
(2)上野正芳:江戸幕府紅葉山文庫旧蔵書唐本医書の輸入時期について、史泉、五一号、四二〜七四頁、一九七七。
(3)岡嶋玄提が序を附し、欄上に『註解傷寒論』と校正し、また訓点が施された和刻の趙開美仲景全書本『(宋板)傷寒論』が、寛文八年(一六六八)に刊行されていることから知れる。
(4)中医研究院・北京図書館:中医図書連合目録、二六八頁、一九六一。
(5)森立之等:経籍訪古志補遺、第八葉ウラ、一八八五。
(6)多紀元胤:医籍考、三二三〜三二四頁、一九五六年人民衛生出版社復刊
(7)多紀元簡著『金匱玉函要略輯義」(一八〇六)、豊田省吾校『(新校)新編金匱要略方論」等はいずれも和刻偽『仲景全書本』で校勘を施している。
(8)真柳誠・小曽戸洋:金匱要略の古版本二種についての新知見、日本医史学雑誌、三〇巻二号、 一〇四〜一〇六頁、一九八四。
(9)文献(4)、二六〇頁。
(10)人民衛生出版社:金匱要略方論勘誤表、影印金匱要略方論附載、一九五六。この勘誤表では三一処の誤判を指摘しているが、その内明らかな誤刻は筆者の指摘したもののみで、その他を誤刻と断定するには根拠不足である。