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蕭衍初・真柳誠「中国新刊の日本関連古医籍−最近十年の復刻書より −」『漢方の臨床』39巻11号1431-1444頁、1992年11月

中国新刊の日本関連古医籍−最近約十年の復刻書より−

*蕭 衍初、 **真柳 誠


 ここ最近、日本・中国ともに多数の古医籍があいついで復刻されている。ことに中国では刊行部数が多く、廉価でもあるため、基本古典や善本・貴重本が手軽 に入手できる意義は大きい。これらの中にはまた、日本が関連した書籍もみうけられる。両国文化の緊密さを中国は「一衣帯水」の常套句で形容するが、両国伝 統医学は文献交流の面でもその例外ではないように思う。

 日本は幕末までの千数百年間、ほぼ一方的に中国医学を導入・消化し、日本化した漢方医学を築いてきた。もちろん朝鮮半島も介在している。一方、正倉院を 例にあげるまでもなく、日本には外来文化を尊重し、文物を後世に伝承する固有の気風がある。中国刊本・朝鮮刊本・和刻本や各種写本として、幕末までに蓄積 された文献はそれゆえ厖大な量に達していた。しかも本国で失われた文献も数多くあった。明治維新以降、これらの一部は価値を認めた外国人、おもに中国の学 者が購入するところとなったのである。

 ところで中国では、現代医学の存在を前提とした伝統医学の昂揚が一九三〇年代前後、文化大革命前の一九五〇年代と後の一九八○年代以降にみられる。いず れの時期も古医籍の復刻がさかんで、しばしば日本からの伝来本が利用されている。そこで真柳はかつて、ほぼ一九八○年までの当情況を調査報告し[1] [2]、また各書が中国に伝入した経緯等に考察を加えた[3]。

 日本を介したこれら古医籍は、その後も中国・台湾から陸続と復刻され、あるいは校訂や復原資料とされている。しかし日本や朝鮮半島の歴史情報の不足から か、各書の出版解説には誤認や不適切な記述がまま見られる。よって前報に補足する意味からも、中国新刊の古医籍を調査することにした。

 まず一九八一年から九一年までに中国・台湾で復刻された古医籍より、親見しえた日本関連の書を抽出した。次に出版形態より写真製版等の影印本と、新組み の活字本に大別。前者は中国・日本・朝鮮の著作、後者は校刊の主底本と参照本あるいは復原資料に使用されたかで細分し、それぞれ復刻年順に配列した。

 各書については、書名・巻数・著者・成立年・初版年。復刻等に使用した底本については、刊本・写本の別と国・刊行者・刊年ないし筆者・筆写年代、旧蔵者 と現所蔵先等。また以上の鑑定根拠たる序・跋と識語等の書き込み、蔵書印や参考文献。および現在の出版社・出版年・校訂者等を記した。いずれも各書の出版 解説の不足を補い、誤認等を訂正するようつとめた。

 なお復原とは別目的で、数書を内容別に抜粋・再編した類は復刻の範囲外につき割愛した。例えば一九八八年中国書店刊『腹証奇覧』は、医道の日本社刊の活 字本を底本とするが、『奇覧』と『奇覧翼』の処方別再編で、もはや別な書となっている。

 以上の調査検討により、八十五をこす中国・台湾新刊の古医籍につき、幕末までの保存・和刻・筆写・著述などのあることが知られた。今それらが中国→日本 →中国→日本などの経由で再渡来している。日中国交正常化から今年で二十年。まさに「一衣帯水」といっていい。遺漏もあると思うが、この結果を以下に記そ う。


一、影印本

(一)中国著作

1、『新修本草』残欠本十巻。唐・蘇敬ら編撰。唐・顕慶四年(六五九)成立。日本写本。羅振玉が森立之旧蔵の影写仁和寺本等を入手[3]。これを上海古籍 出版社より一九八一年三月と一九八五年十月に二度影印復刊。前者は原寸大、線装。後者は縮印、平装。本書には「万巻楼」「森氏」「青山求精堂蔵書画之記」 の蔵書印があり、森立之・羅振玉の識語がある。

2、『康治本傷寒論』一巻。後漢・張仲景原著。日本僧の了純が康治二年(一一四三)に抄録、戸上玄斐が嘉永元年(一八四八)に重校。日本刊本。風月庄左衛 門ら京都書林の安政五年(一八五八)刻本を、中医古籍出版社より一九八二年四月に影印復刊。本書には丹波頼易の序(丹波頼徳の筆)と戸上玄斐の叙がある。 本書は江戸の偽撰とする説が有力[4]。

3、『新刊医林状元済世全書』八巻。明・襲廷賢著。成立は自序の万暦四十四年(一六一六)。日本刊本。寛永十三年(一六三六)に、村上平楽寺が金陵書坊万 巻楼存義堂周氏刊本を底本に和刻。一九八二年四月に台湾中央図書館所蔵の当和刻本を新文豊出版公司が影印復刊。また矢数道明氏蔵の同和刻本を、台湾の呉家 鏡が一九八五年一月に正言出版社より影印復刊。中医古籍出版社も北京大学所蔵の同和刻本(季盛鐸旧蔵)を一九八七年五月に影印復刊し、後掲14の叢書に収 録している。

4、『癸巳新刊御薬院方』十一巻。元・許国禎編撰。元・高鳴の前至元四年(一二六七)序がある。日本刊本。一九八三年七月に中医古籍出版社より中国中医研 究院所蔵の寛政十年(一七九八)木活字版を影印復刊。本書末に多紀元簡の跋(一七九二年)と千賀芳久の跋(一七九八年)がある。

5、『校刻嶺南衛生方』三巻。宋・李璆ら原編、元・継洪纂修。十三世紀後半の成立。日本刊本。天保十二年(一八四一)に学古館が明・万暦四年(一五七六) 重刻本により校刻。当刻本には天保十一年(一八四〇)の梯謙(南洋・晋造)の序と岡田亀の跋があり、梯南洋『募原偶記』一巻(山田簡序)が合刻されてい る。中国中医研究院蔵の当和刻本を、一九八一年九月に中医古籍出版社より影印復刊。

6、『重刻軒岐救正論』六巻。明・蕭京撰。成立は自序の明・崇禎十七年(一六四四)。中国刊本。中国中医研究院の蔵本は清初の刊本で、「東井文庫」(今大 路家)と「小島氏図書記」(小島宝素)の蔵書印がある。これを中医古籍出版社より一九八三年九月に影印復刊。

7、『勿聴子俗解八十一難経』七巻。明・熊宗立著。成立は自序の明・正統三年(一四一三八)。日本刊本。中国中医研究院の所蔵本は、天文五年(一五三六) に谷野一柏が明・成化八年(一四七二)鰲峰熊氏中和堂刊本を底本に和刻した日本第二の印刷医書[5]の再版本。これを中医古籍出版社より一九八三年十二月 に影印復刊。

8、『黄帝蝦蟇経』一巻。著者未詳。隋以前の成立[6]。日本刊本。杉本良・千田恭の文政六年(一八二三)序がある。同年に敬業楽群楼より刊行。中国中医 研究院所蔵の当版を、中医古籍出版社より一九八四年一月に影印復刊。本書は多紀元胤編の『衛生彙編』の一書として収められたもの。

9、『奇効医述』三巻。明・聶尚恒著。明・万暦四十四年(一六一六)の自序がある。日本刊本。中国中医研究院所蔵の万治四年(一六六一)松梅軒和刻本を、 中医古籍出版社より一九八四年六月に影印復刊。

10、『続医説』十巻。明・兪弁著。自序は明・嘉靖元年(一五二二)。日本刊本。上海中医学院所蔵の万治元年(一六五八)和刻本を一九八四年六月に、『医 説』とともに上海科技出版社より影印合刊。

11、『新刊医林状元寿世保元』十巻。明・襲廷賢著。明・万暦四十三年(一六一五)自序がある。日本刊本。万暦年間の光霽堂刊本が底本の正保二年(一六四 五)風月宗知和刻本(矢数道明氏蔵)を、台湾の呉家鏡が正言出版社より一九八四年十月に影印復刊。

12、『新刊演山省翁活幼口議』二十巻。宋・史演山著。一一〇○年代後半成立[7]。日本写本。中国中医研究院所蔵の文政三年(一八二〇)写本を、中医古 籍出版社より一九八五年一月に影印復刊。本書の序文葉には、「野間氏蔵書印」「森氏開万冊府之記」「青山求精堂蔵書画之記」の蔵書印があり、書末には多紀 元胤の識語がある。

13、『医学入門万病衡要』六巻。清・洪正立著。本書の成立は、上官鉝序の清・順治十二年(一六五五)。日本刊本。中医古籍出版社より一九八五年二月に影 印復刊。底本は中国中医研究院所蔵の唐本屋喜右衛門刊本で、延宝五年(一六七七)の松下見林序がある。

14、『魏氏家蔵万』十巻。宋・魏峴編著。成立は自序の南宋・宝慶三年(一二二七)。日本写本。江戸後期の写本か。北京大学所蔵(季盛鐸旧蔵)の当写本 を、中医古籍出版社が一九八七年五月に影印刊行の『北京大学図書館善本医書[8]』に収録。

15、『楊氏家蔵方』二十巻。宋・楊倓著。成立は自序の南宋・淳煕五年(一一七八)。同書には延璽の淳煕十二年(一一八五)跋がある。その内容より福建に おいて重刊された、いわゆる閩版であることがわかる[9]。日本写本(閩版に基づく)。前掲14と同叢書の所収。本書には安永六年(一七七七)に、松枝元 亮の出版した木活字本もある。当活字本には前田春栄の安永六年序があり、台湾故宮博物院所蔵本には楊守敬の蔵書印が押されている。これを一九八七年十二月 に台湾・新文豊出版公司刊の『故宮珍蔵中医名著三十四種』に影印収録。

16、『備急灸方』一巻。宋・聞人耆年著、孫炬卿輯。南宋・宝慶二年(一二二六)成立、淳祐五年(一二四五)重刊。中国刊本。清・光緒十七年(八九一一の 羅嘉傑重刊本を、中国書店が一九八七年十一月に『中医基礎叢書』第四集として、影印復刊。なお、台湾・新文豊出版公司も一九八七年十二月に、同一版本(台 湾故宮博物院所蔵)を影印復刊している。当光緒十七年刊本は、羅嘉傑が日本旧蔵の宋版を同十六年(明治二十三年)に日本で復刻[3]し、これを中国で再復 刻したもの。

17、『嬰童百問』十巻。明・魯伯嗣著。成立年未詳。中国刊本。明・麗泉堂刊。本書には、明・嘉靖十八年(一五三九)の厳嵩序と許讃の進疏があり、序文葉 と書末に「小島氏図書記」「楊守敬印」「宜都楊氏蔵書記」の蔵書印がある。本書と前掲15の松枝元亮木活字版の『楊氏家蔵方』、および18〜38・ 50〜57の書は、すべて楊守敬が一八八○〜一八八四年の滞日中に森立之などから入手したもの[3]。いずれも台湾故宮博物院の所蔵で、台湾・新文豊出版 公司が一九八七年十二月に刊行した『故宮珍蔵中医名著三十四種』に影印収録されている。

18、『董氏小児斑疹備急方論』一巻。北宋・董汲著。同時代の銭乙による北宋・元祐八年(一〇九三)後序がある。日本影宋写本。本書の序文葉には、小島・ 楊守敬・朱師徹の印があり、書末には「天保四年九月廿九日校訖」の識語と「尚質校読」の印がある。なお、書中には同小島氏の校読識語が多い。前掲17と同 叢書の所収。

19、『外科精要』三巻。宋・陳自明撰。成立は自序の南宋・景定四年(一二六三)。寛政九年(一七九七)の津軽意伯刊本。江戸幕府紅葉山文庫蔵の旧写本を 底本に、『医方類聚』所引文などで校勘が加えられている。書末には、小島宝素の識語と「小島氏図書記」の押印がある。前掲17と同叢書の所収。

20、『脈粋』一巻。宋・蕭世基撰。成立は姚誼が序を記した北宋・治平三年(一〇六六)。室町の永正十五年(一五一八)写本。「小島氏図書記」、楊守敬の 「飛青閣蔵書印」と識語がある。前掲17と同叢書の所収。

21、『新刊荘季裕編灸膏睮穴法』一巻。宋・荘綽編撰。成立は自跋の南宋・建炎二年(一一二八)。日本写本。書末にある「右灸法従聿修堂影写王氏本伝録  己丑秋八月三日校于博愛堂 小島質記」の識語ほか[10]より、当本は明・成化八年(一四七二)竹坪堂刊『針灸四書』所収本に基づく伝写本と知れる。小 島・楊守敬の蔵書印があり、前掲17と同叢書の所収。

22、『神農本草経疏』三十巻。明・繆希雍撰。成立は自題の明・天啓五年(一六二五)、同年に海虞毛氏緑君亭刊行。中国刊本。小島氏・楊守敬・朱師轍の印 があり、小島氏の識語もある。前掲17と同叢書の所収。

23、『唐王Z先生外台秘要方』四十巻。唐・王Z撰。成立は王氏自序の唐・天保十一年(七五二)。北宋・煕寧二年(一〇六九)に孫兆ら校定初刊。明・崇禎 十三年(一六四〇)に新安程敬通の経余居重刊。中国刊本。本書には小島氏の校語がいたるところにあり、楊守敬の識語もある。なお、「小島氏図書記」「九折 堂山田氏図書之記」「養安院蔵書」「惺吾海外訪得秘笈」「正健珍蔵」「宜都楊氏蔵書記」「元負ヒ蔵記」など蔵書印があるので、曲直瀬養安院・山田業広・小 島家の旧蔵を経たことがわかる。前掲17と同叢書の所収。

24、『太医院経験奇効良方大全』残欠本五十四巻(全六十九巻、現欠巻四〜八・四三〜五一・六三)。明・方賢編撰、楊文翰ら校正。成立は、明・商輅らが序 を記した成化六年(一四七〇)。中国刊本。明・正徳六年(一五一一)の劉氏日新堂刊本。「与住草屋」「野間氏蔵書印」「小島氏図書記」「惺吾海外訪得秘 笈」などの印がある。前掲17と同叢書の所収。

25、『泰定養生主論』十六巻。元・王珪撰。成立は、元・段天祐序の後至元四年(一三三八)。日本影写本。本書には、明・正徳四年(一五〇九)徐繁の重刊 序および同六年(一五一一)楊易・冒鸞の跋がある。当本は明重刊本を影写したもので、小島宝素の天保六年(一八三五)影写識語がある。小島氏・楊守敬の蔵 書印もある。前掲17と同叢書の所収。

26、『普済本事方』十巻、『類証普済本事方続集』十巻。ともに宋・許叔微著。十二世紀半ば頃成立[11]。日本刊本。両和刻本は享保二十年(一七三五) に泝流(中正堂)訓点、同二十一年に書林向井八三郎刊行。両書には「管陸主人」「多紀氏蔵書印」「朱師轍印」「惺吾海外訪得秘笈」などの印がある。前掲 17と同叢書の所収。

27、『新刊続添是斎百一選方』二十巻。宋・王璆撰。本書には南宋・慶元二年(一一九六)の章楫の序、慶元三年の陳造の序がある。日本刊本。寛政十一年 (一七九九)に幕府医官の千田恭が校刊、濯纓堂の蔵版。多紀元簡の序と千田恭の跋によれば、底本は荻野元凱所蔵の元版という。前掲17と同叢書の所収。

28、『活人事証方後集』二十巻。宋・劉信甫撰。本書の成立は一二二〇年前後と推定される[12]。日本写本、江戸後期に写したもの。「惺吾海外訪得秘 笈」など楊守敬の蔵書印がある。前掲17と同叢書の所収。

29、『葉氏録験方』残欠本二巻(上巻欠)。宋・葉大廉撰。成立は自跋の南宋・淳煕十三年(一一八六)。日本旧写本による江戸写本で、底本は南宋・嘉泰四 年(一二〇四)刊本。本書には「和田氏蔵書印」「小島氏図書記」「惺吾海外訪得秘笈」など蔵書印がある。前掲17と同叢書の所収。

30、『校正注方真本易簡方論』一巻。宋・王碩撰。成立は十二世紀後半と推定される[12]。日本刊本。寛延元年(一七四八)望月三英校、戸倉屋喜兵衛刊 行。本書には「小島氏図書記」「尚質之印」「字学古」および楊守敬の蔵書印がある。前掲17と同叢書の所収。

31、『新刻温隠居海上仙方前集』一巻。宋・温大明撰。成立は自序[13]の嘉定九年(一二一六)。日本写本。底本は明・胡文煥の百家名書本で、書名を本 来の「温氏隠居助道方服薬須知」から改め、これを「前集」とし、さらに『新刻孫真人海上仙方後集』一巻を付加している。本書には「和田氏蔵書印」「小島氏 図書記」および楊守敬の蔵書印がある。前掲17と同叢書の所収。

32、『新刻官板秘伝加減十三方』一巻。元・徐用和撰。成立を多紀元胤の識語は元の中葉とする。日本写本。明・呉球の校刊本を底本とする。本書には小島質 の校読識語があり、小島・楊守敬の蔵書印もある。前掲17と同叢書の所収。

33、『方氏類編家蔵集要方』残欠本(存巻上)。宋・方導(夷吾)撰。自序の南宋・慶元三年(一一九七)成立。日本写本。多紀元簡・多紀元堅の校読識語、 「奚暇斎読本記」と楊守敬の蔵書印がある。前掲17と同叢書の所収。

34、『新刻全補医方便懦』残欠本(存巻一)。金・李杲著。成立年未詳。日本写本。明・喬山書舎刊本を底本とし、見返しに「精鐫全補/太医院校刊/医方便 懦」とある。本書の巻一首葉に「東井文庫」「小島氏図書記」および楊守敬の蔵書印、巻一末葉に侫宋道人の識語がある。上掲17と同叢書の所収。

35、『原機啓微』二巻。明・倪維徳著。成立は自序の明・洪武三年(一三七〇)。中国刊本。明・嘉靖年間前後の所刊。本書には、倪維徳の墓碣銘が後付さ れ、小島宝素の鈔補と識語、「宝素堂」「小島氏図書記」および楊守敬の蔵書印がある。上掲17と同叢書の所収。

36、『戴思九臨証医案』一巻。戴思九著。成立年未詳。日本写本。「博愛堂記」および小島氏・楊守敬の蔵書印がある。上掲17と同叢書の所収。

37、『新刊京本活人心法』二巻。明・涵虚子(朱権)編撰。十四世紀前半の成立。朝鮮刊本。十行、行二十字の書式より、嘉靖二十年刊本の可能性が考えられ る。本書には仮名標点が加筆され、楊守敬の「惺吾海外訪得秘笈」など蔵書印がある。上掲17と同叢書の所収。

38、『医学源流』一巻。明・熊宗立著。成立は自跋の明・景泰元年(一四五〇)。日本写本で、室町末期の筆写と思われる。本書は熊宗立『名方類証医書大 全』(一四四六成)の巻首に付刻された別巻で、呉高の明・天順二年(一四五八)序があるので、それ以降の版本を底本としている。序文葉には「惺吾海外訪得 秘笈」など楊守敬の蔵書印がある。上掲17と同叢書の所収。

39、『新編名方類証医書大全』二十四巻。明・熊宗立著。成立は自序の明・正統十一年(一四四六)。日本刊本。大永八年(一五二八)に明版を復刻したもの で、日本初の印刷医書。これを上海科学技術出版社部が一九八八年十二月に、明・成化三年(一四六七)熊氏種徳堂刊本と誤認して影印復刊。ただし、本書の序 文葉に「奚暇斎読本記」(多紀元簡)の蔵書印があることなどから、和刻本と判断される。そのほか「精華」「伍連徳蔵書記」の蔵書印がある。

40、『嬰児論』一巻。清・周士?(「禰」の旧字体)著。成立は信伯虎序の清・乾隆四十三年(一七七八)。日本刊本。寛政九年(一七九七)の平安・広川獬 (瑤池斎)刊本を、上海科学技術出版社より一九九〇年六月に影印復刊。

(二)日本著作

41、『炮炙全書』四巻。稲生若水(宣義)著。成立は貝原益軒(篤信)序の元禄二年(一六八九)。全国中医中心図書館所蔵の元禄十五年(一七〇二)平安書 坊大和屋重左衛門刊本を、中医古籍出版社より一九八一年九月に影印復刊。

42、『傷寒雑病類方』一巻。喜多村直寛著。成立は自序の弘化元年(一八四四)。嘉永五年(一八五二)学訓堂刊本を、中医古籍出版社が耿劉霦の『傷寒方歌 纂』『金匱方歌纂』と合冊し、『張仲景方易記便学冊』と名づけて一九八一年十月に影印復刊。

43、『経穴彙解』八巻。原南陽(克昌)著。成立は自序の享和三年(一八○三)。書首に多紀元簡の文化四年(一八〇七)序がある。「余云岫珍蔵」の蔵書印 がある中国中医研究院所蔵の青藜閣東璧楼刊本を、中医古籍出版社より一九八二年十月に影印復刊。

44、『質問本草』八巻。琉球の呉子善(継志)著。成立は呉氏例言の寛政元年(一七八九)。「伊藤篤太郎記」の蔵書印がある中国中医研究院所蔵の天保八年 (一八三七)薩摩府学版を、中医古籍出版社より一九八四年三月に影印復刊。

45、『二火弁妄』三巻。芳村恂益(北山)著。成立は自序の元禄十六年(一七〇三)。中国中医研究院所蔵の正徳五年(一七一五)錦山堂刊本を、中医古籍出 版社より一九八五年十一月に影印復刊。

46、『黄帝秘伝経脈発揮』七巻。饗庭東庵(立伯)著。十七世紀後半の成立。北京大学所蔵(李盛鐸旧蔵)の日本木活字本を、中医古籍出版社より一九八七年 五月に影印復刊。前掲14と同叢書の所収。

47、『医方紀原』三巻。甲賀通元著。成立は自序の享保五年(一七二〇)。松岡恕庵の元文四年(一七三九)序がある。北京大学所蔵(李盛鐸旧蔵)の元文五 年(一七四〇)須原屋茂兵衛刊本を、中医古籍出版社より一九八七年五月に影印復刊。前掲14と同叢書の所収。

48、『正骨範』二巻。二宮彦可(献)著。自序は文化四年(一八〇七)だが、桂川甫周(国瑞)の序は文化三年で、文化五年の多紀元簡序もある。北京大学所 蔵(季盛鐸旧蔵)の文化五年(一八○八)擁鼻蔵版本を、中医古籍出版社より一九八七年五月に影印復刊。前掲14と同叢書の所収。

49、『医法明鑑』五巻。曲直瀬玄朔著。十七世紀初の成立。北京大学所蔵(季盛鐸旧蔵)の寛永十三年(一六三六)村上平楽寺刊本を、中医古籍出版社より一 九八七年五月に影印復刊。前掲14と同叢書の所収。

50、『換骨抄』一巻。吉益半咲(助秀)著、源匡明(吉益主馬助)抜粋。真瀬(曲直瀬)玄朔の天正十三年(一五八五)識語、源匡明の寛永三年(一六二六) 「換骨抜萃言」と正保三年(一六四六)校改識語がある。慶安五年(一六五二)写本。前掲17と同叢書の所収。

51、『本草経考注』十八巻。森立之著。森立之の安政五年(一八五八)自序がある。これは同氏の精写稿本で、森立之・楊守敬の蔵書印がある。前掲17と同 叢書の所収。

52、『万安方』六十二巻。梶原性全撰。一三一五年成立[16]。書首には岡本玄冶の延享二年(一七四五)「献万安方序」がある。天保三年(一八三二)写 本で、楊守敬の旧蔵。前掲17と同叢書の所収。

53、『読肘後方』九巻。藍川慎撰。天保十一年(一八四〇)稿本。「小島氏図書記」と、「飛青閣蔵書印」「惺吾海外訪得秘笈」など楊守敬の蔵書印がある。 前掲17と同叢書の所収。

54、『医方挈領』一巻。多紀元簡撰、多紀元胤校補、多紀元堅重訂。江戸後期成立。小島質写本。小島質の識語、小島氏・楊守敬の蔵書印がある。前掲17と 同叢書の所収。

55、『校正新増観聚方要補』一巻。多紀元簡撰、菊潭老人新増。江戸後期の成立。日本写本。小島氏と楊守敬の蔵書印がある。前掲17と同叢書の所収。

56、『医方大成論』一巻。元・孫允賢の作と記されるが、江戸前に『医書大全』から抜粋したものという。撰者不詳[17]。日本写本。本書の目録葉には 「博愛堂記」「小島氏図書記」および楊守敬蔵書印があり、書の末葉には「辛巳十月二十三日多紀安長所贈 源質蔵」の識語がある。前掲17と同叢書の所収。

57、『短要方』一巻。著者未詳。室町末〜江戸初の作。日本写本で、文政十三年(一八三〇)小島宝素の筆写。「小島尚質」の印がある。上掲17と同叢書の 所収。

(三)朝鮮著作

58、『針灸択日編集』一巻。朝鮮の金循義ら編撰。成立は自序の正統十二年(一四四七)。中国刊本。羅嘉傑は多紀氏旧蔵の写本により、清・光緒十六年(一 八九〇、明治二十三年)に本書を日本で復刻。この羅氏十瓣同心蘭室刊本は、光緒十七年と十八年に中国で再版されており、そのいずれかを中国書店が一九八七 年十一月に影印復刊したもの。前掲16を参照。


二、新組み活字本

(一)和刻本・日本写本や日本の著作、または日本旧蔵の中国・朝鮮刊本を底本とし、 校訂・加点した中国の鉛印本

59、『医方類聚』残欠本二六二巻。朝鮮金礼蒙ら編。成立は梁誠之の進表の成宗八年(一四七七)。喜多村直寛の江戸学訓堂木活字版を底本に浙江省中医研究 所が校訂・加点、人民衛生出版社より一九八一年四月に出版。

60、『重訂瑞竹堂経験方』十五巻。元・薩謙斎著。元・泰定三年(一三二六)王都中序がある。寛政七年(一七九五)繕生薬室(桂川甫周)の木活字校訂本を 底本に、浙江省中医研究所が校訂・加点、人民衛生出版杜より一九八二年一月に出版。

61、『子午流注針経』三巻。金・閻明広編撰。金・貞元年間(一五三〜一一五五)成立。中華医学会上海分会所蔵の日本写本(写年未詳、明・広勤書堂刊本を 筆写)を底本に、李鼎らが校訂・加点、上海中医出版社より一九八六年七月に出版。

62、『幼幼新書』四十巻。宋・劉ム編著。宋・紹興二十年(一一五〇)初刊。宮内庁書陵部所蔵の明代の影宋写本を底本に、馬継興らが校訂・加点、人民衛生出 版社より一九八七年四月に出版。

63、『楊氏家蔵方』二十巻。宋・楊倓撰。南宋淳煕間の閩刊本に基づく江戸写本(在北京)を底本に、于文忠らが校訂・加点、人民衛生出版社より一九八八年 六月に出版。

64、『世医得効方』二十巻。元・危亦林著。元・後至元三年(一三三七)成立。元・至正三年(一三四三)に建寧路官医提領の陳志が初刊。李盛鐸旧蔵で、日 本人の補写がある北京大学所蔵の初刊本を底本に、王育学が校訂・加点、人民衛生出版杜より一九九〇年三月に出版。

65、『神応経』一巻。明・劉瑾編著。成立は明・寧献王朱権序の洪煕元年(一四二五)[18]。室町時代の文明二年(一四七三)、畠山氏の使節で朝鮮に 渡った僧・良心が本書を献上し、翌年の成化十年(一四七四)に朝鮮で復刻[19]。この朝鮮版を正保二年(一六四五)に田原仁左衛門が再復刻した『重刊神 応経』の中国中医研究院所蔵本を底本に、李寧が校訂・加点。中医古籍出版社より『扁鵲神応針灸玉竜経』とともに一九九〇年六月に合刊。朝鮮へ献上時に添え られた和気氏・丹波氏の「八穴灸法」が前付される。つまり中国→日本→朝鮮→日本→中国と伝承され、中医古籍出版社本で日本に再度伝入している。

66、『難経校注』不分巻。旧題泰越人著、成立年未詳。凌耀星主編。底本は慶安五年(一六五二)武村市兵衛刊の『王翰林集注黄帝八十一難経』で、人民衛生 出版社より一九九一年二月に出版。

67、『魯府禁方』四巻。明・襲廷賢著。成立は明・魯王序の万暦二十二年(一五九四)。王志潔ら校訂・加点。慶安元年(一六四八)小嶋弥左衛門刊本を底本 とし、中医古籍出版社より一九九一年七月に、襲廷賢『種杏仙方』と合刊。

68、『是斎百一選方』二十巻。宋・王璆著。成立は前掲27を参照。寛政十一年(一七九九)に千田恭(子敬)荻野元凱(子元)所蔵の元刻本を底本に、『医 方類聚』所引文などで校勘を加えて復刻。これを底本に日本写本二種を参照し、王伊明らが校訂・加点、上海中医学院出版社より一九九一年十月に出版。

69、『脈経校注』十巻。晋・王叔和著。三世紀頃成立。静嘉堂文庫所蔵の明人影刻南宋・何大任本(一九八一年刊『東洋医学善本叢書』影印収録本)を底本 に、沈炎南らが校注、人民衛生出版社より一九九一年十月に出版。

(二)和刻本・日本写本または日本旧蔵の中国刊本を参照し、校訂・加点した中国の鉛 印本

70、『黄帝明堂灸経』三巻。著者未詳。宋以前の成立。元・竇桂芳編の『針灸四書』に『灸膏盲腧穴法』『子午流注針経』『針経指南』とともに収められ、 元・至大四年(一三一一)に初刊。元版を底本とした延宝三年(一六七五)刊の『新刊黄帝明堂灸経』を参照し、人民衛生出版社より一九八三年六月に校勘出 版。

71、『針経指南』一巻。元・竇傑(漢卿)撰。竇桂芳の『針灸四書』序によれば、元・元貞元年(一二九五)前の成立。初刊は上掲70に同じ。日本写本を参 照し、人民衛生出版社より一九八三年六月に校勘出版。

72、『針灸問対』三巻。明・汪機撰。自序は明・嘉靖九年(一五三〇)。仇裕豊らが日本写本を参照して校勘し、江蘇科学技術出版社より一九八五年七月に出 版。

73、『婦人大全良方』二十四巻。宋・陳自明著。自序の宋・嘉煕元年(一二三七)成立。多紀元簡らの文化二年(一八○五)写本(底本は朝鮮活字本、中国医 学科学院蔵)を参照して、余瀛鰲らが校訂・加点。人民衛生出版社より一九八五年十一月に出版。

74、『褚氏遺書校釈』不分巻。南斉・褚澄撰。成立は五世紀後半。明・胡分煥の校本による延宝元年(一六七三)京都吉田四郎右衛門和刻本を参照し、趙国華 が校訂・注釈。河南科学技術出版社より一九八六年二月に出版。

75、『傷寒総病論』六巻。宋・龐安時撰。一〇九二〜九三年の成立。寛延四年(一七五一)の写本および文政十二年(一八二九)の聿修堂写本からの再写本を 参照し、鄒徳琛らが校訂・加点。人民衛生出版社より一九八九年七月に出版。

76、『医方考(付『脈語』)』六巻。明・呉崑撰。自序の明・万暦十二年(一五八四)成立。慶安四年(一六五一)秋田屋平左衛門刊本を参照し、傳衍魁らが 校訂・加点。人民衛生出版社より一九九〇年一月に出版。

77、『黄帝針灸甲乙経』十二巻。晋・皇甫謐著。三世紀頃成立。静嘉堂文庫所蔵の明代写本(一九八一年刊『東洋医学善本叢書』影印収録本)を参照し、黄竜 祥が校注、中国医薬科学技術出版社より一九九〇年三月に出版。

78、『中蔵経校注』三巻。旧題後漢・華佗著。成立年未詳。寛保二年(一七四二)吉文字屋市兵衛ら刊本を参照し、李聡甫らが校注、人民衛生出版社より一九 九〇年八月に出版。

79、『種杏仙方』四巻。明・襲廷賢著。万暦初の成立。慶安三年(一六五〇)小嶋弥左衛門翻刻本を参照し、王志潔ら校訂・加点。中医古籍出版社より『魯府 禁方』(前掲67)と合刊。


三、輯佚復原書

80、『「小品方」輯校』十二巻。劉宋・陳延之著。四五四〜四七三年頃成立[21]。『医心方』ほかの引用文から高文柱が輯佚、天津科学技術出版社より一 九八三年八月に出版。

81、『産経』一巻。著者未詳。隋代頃成立。何時希が『医心方』の引用文を輯佚、『珍本女科医書輯佚八種』に収めて、学林出版社より一九八四年三月に出 版。

82、『食療本草』三巻。唐・孟詵撰、張鼎増訂。八世紀頃成立。『医心方』所引文や中尾万三『校合食療本草遺文』ほかから謝海洲らが輯佚、人民衛生出版社 より一九八四年七月に出版。

83、『名医別録』三巻。本書の尚志鈞「後記」によれば梁・陶弘景集、六世紀初の成立。昭和十一年(一九三六)武田長兵衛影印の仁和寺本『新修本草』ほか の文章から尚志鈞が輯佚、人民衛生出版社より一九八六年六月に出版。

84、『集験方』十二巻。北周・姚僧垣撰、六世紀後半の成立。高文鋳が『医心方』ほかの引用文から輯佚、天津科学技術出版社より一九八六年十月に出版。

85、『黄帝明堂経輯校』不分巻。著者未詳。本書の解説は二世紀前の成立という。静嘉堂文庫所蔵の明代藍格写本や仁和寺本『黄帝内経明堂』(一九八一年刊 『東洋医学善本叢書』影印収録)ほかを、黄竜祥が参照して復原。中国医薬科学技術出版社より一九八八年十月に出版。


四、書名索引

 以上は各々、中国近刊の年順に配列したので、検索には不便である。そこで各書の通称による五十音索引を付記しておく。書名には見出しの番号を冠し、通称 の省略部分は〔 〕内に入れた。

〈イ〉13医学入門万病衡要、30〔校正注方真本〕易簡方論、34〔新刻全補〕医方便懦、38医学源流、39〔新編名方類証〕医書大全、47医方紀原、 49医方名鑑、54医方挈領、56医方大成論、59医方類聚、76医方考

〈エ〉17嬰童百問、40嬰児論

〈カ〉8〔黄帝〕蝦蟇経、12〔新刊演山省翁〕活幼口議、28活人事証方後集、31〔新刻温隠居〕海上仙方、32〔新刻官板秘伝〕加減十三方、33〔方氏 類編〕家蔵集要方、37〔新刊京本〕活人心法、50換骨抄、55〔校正新増〕観聚方要補

〈キ〉4〔癸巳新刊〕御薬院方、9奇効医述、14魏氏家蔵方、21〔新刊荘季裕編〕灸膏盲腧穴法、24〔太医院経験〕奇効良方大全

〈ケ〉6〔重刻〕軒岐救正論、19外科精要、23〔唐王Z先生〕外台秘要方、35原機啓微、43経穴彙解、46〔黄帝秘伝〕経脈発揮

〈コ〉2康治本傷寒論、77〔黄帝針灸〕甲乙経

〈サ〉3〔新刊医林状元〕済世全書、81産経

〈シ〉1新修本草、11〔新刊医林状元〕寿世保元、18〔董氏〕小児斑疹備急方論、22神農本草経疏、29葉氏録験方、42傷寒雑病類方、44質問本草、 58針灸択日編集、61子午流注針経、65神応経、71針灸指南、72針灸問対、75傷寒総病論、79種杏仙方、80小品方輯校、82食療本草、84集験 方

〈ス〉60〔重訂〕瑞竹堂経験方

〈セ〉27・68〔新刊続添〕是斎百一選方、48正骨範、64世医得効方

〈ソ〉7〔勿聴子〕俗解八十一難経、10続医説

〈タ〉25泰定養生主論、57短要方

〈チ〉74褚氏遺書校釈、78中蔵経校注

〈ト〉53読肘後方

〈ナ〉66難経校注

〈二〉45二火弁妄

〈ヒ〉16備急灸方

〈フ〉26普済本事方・同続集、73婦人大全良方5募原偶記、41炮炙全書、51本草経考注

〈マ〉52万安方

〈ミ〉20脈粋、69脈経校注、76脈語

〈メ〉70〔黄帝〕明堂灸経、83名医別録、85〔黄帝〕明堂経輯校

〈ヨ〉15・63楊氏家蔵方、62幼幼新書

〈リ〉36〔戴思九〕臨床医案

〈レ〉5〔校刻〕嶺南衛生方

〈ロ〉67魯府禁方


引用文献および注

[1]真柳誠「中国において出版された日本の漢方関係書籍の年代別目録(一)』『漢方の臨床』三〇巻九号、四七〜五一頁、一九八三。

[2]真柳誠「中国において出版された日本の漢方関係書籍の年代別目録(二)』『漢方の臨床』三〇巻十号、三二〜四一頁、一九八三。

[3]真柳誠「清国末期における日本漢方医学書籍の伝入とその変遷について」『矢数道明先生喜寿記念文集』六四三〜六六一頁、温知会、東京、一九八三。

[4]桜井謙介「『康治本傷寒論』再論」『漢方研究』一九九一年一号、二七〜三一頁、一九九一。

[5]真柳誠ら「現存する日本第二の医書印刷の版木」『漢方の臨床』三七巻四号、二〜四頁、一九九〇。

[6]多紀元胤『(中国)医籍考』二三六頁、人民衛生出版社、北京、一九八三。

[7]王鉄策ら「『活幼口議』の著者について」、『日本医史学雑誌』に投稿中。

[8]同叢書には本稿にとり挙げた日本関係の書が多い。しかし第五冊所収の『王氏秘伝叔和図注釈義脈訣評林捷径統宗』について、万暦刊本に基づく和刻本と 内容提要に記すが、版式等からは和刻本と判断できない。

[9]小曽戸洋「南宋代の医薬書(その2)」『現代東洋医学』九巻二号、七九〜八五頁、一九八八。

[10]小島尚真『医籍著録』一九葉オモテ、自筆写本(台湾故宮博物院蔵)。

[11]小曽戸洋「南宋代の医薬書(その1)」『現代東洋医学』九巻一号、八七〜九三頁、一九八八。

[12]小曽戸洋「南宋代の医薬書(その4)』『現代東洋医学』九巻四号、九六〜一〇三頁、一九八八。

[13]前掲文献[6]、六三七頁。

[14]三木栄『朝鮮医書誌』二二一〜二二三頁、学術図書刊行会、大阪、一九七三。

[15]小曽戸洋「『名方類証医書大全』解題」『和刻漢籍医書集成/第七輯』解説一二〜一四頁、エンタプライズ、東京、一九八九。

[16]石原明「『万安方』解題」、梶原性全『万安方(全)』一七三五頁、科学書院、東京、一九八六。

[17]小曽戸洋「『医方大成論』解題」『和刻漢籍医書集成/第七集』解説一七〜二五頁、エンタプライズ、東京、一九八九。

[18]前掲文献[6]、二六五〜二六六頁。

[19]前掲文献[14]、一九五〜一九七頁。

[20]毛徳華「龐安時著作考」『中華医史雑誌』二一巻一期、五二〜五五頁、一九九一。

[21]小曽戸洋「『小品方』序説−現存した古巻子本」『日本医史学雑誌』三二巻一号、一〜二五頁、一九八六。

(*中医師:甘粛中医学院基礎部 医学史・各家学説講師、**医博:北里研究所東洋医学総合研究所医史文献研究室研究員)