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郭秀梅・真柳誠「多紀元堅の著述」『漢方の臨床』42巻10号1247-1255頁、1995年10月

多紀元堅の著述

郭  秀梅・真柳  誠


一、はじめに

  多紀元堅(一七九五〜一八五七)は多くの研究書を著した。本年は元堅の生誕二百年になるが、その研究業績は父・元簡と兄・元胤の著述とともに、江戸医学の頂点を示したといっていい。のみならず、中国そして東アジア全体の伝統医学を現在も裨益し続けている。

  それらは日本の伝統医学が暗黒時代を迎えた明治期、中国に伝えられて逆に注目をあび、復刻が開始された。現在までの中国版は、回数・部数ともに日本をはるかに凌駕する。

  一方、その著作は学術性の高さゆえ、未刊行書や刊行前の自筆本・稿本とされる各種写本が多数保存されている。より正確に元堅の研究を理解・継承するには、こうした写本類も利用されねばならない。

  これまで多紀元堅の著述や古医籍等の校刊については、森潤三郎(1)・岡西為人(2) ・矢数道明(3) 各氏の紹介があった。しかし、たとえば森氏が調査したとき、後裔の矢の倉多紀家の崇徳氏が保存されていた元堅自筆等を含む書籍は、すべてが戦災で烏有に帰している。

  一方、当時は所在や書名すら知られていなかった稿本や自筆等の写本、さらに中国での復刻版なども、近年は各種目録類の整備によりかなり掌握可能となった。くわえて最近は日本の伝統医学研究が一層深化し、復刻本も増加している。

  そこで本年の生誕二百年に臨み、元堅の業績の顕彰とさらなる研究利用を期し、著述書を以下のように調査・整理した。
 

二、調査・整理の凡例

○対象は元堅の自著・共著とそれに後人が校訂や注記等を加えた書、および元堅と強い関連のある書とした。自筆でも別人の著作を筆写したり、自著以外の刊本・写本に批注や奥書を書き込んだ本、また元堅が校刊した古医籍等は厖大かつ著述の範囲外につき割愛した。

○採録書は書名の五十音順で配列した。

○採録事項は基本的に『国書総目録』(4)『古典籍総合目録』(5)に基づき、叢書収録本(6)・個人蔵書(7)・中国大陸(8)・台湾(9)等の情報を必要最小限補足した。

○刊本となる以前の写本は貴重性に鑑み、必要最大限の事項を記した。ただ写本と記すのは筆写者・筆写年の未確定書をいう。

○刊本の所在は煩雑につき割愛した。

○元堅の著述を二書以上収録する叢書は次のように略記した。
  各々には以下の版本がある。

「聿修」:『聿修堂医学叢書』、光緒十年(一八八四)楊守敬刊本、一九一三年上海・江左書林石印本、一九三五年上海・中医書局鉛印本。

「皇漢」:『皇漢医学叢書』、一九三六年上海・世界書局鉛印本、一九七二年台北・大新書局鉛印本、一九九三年上海中医学院出版社鉛印本。

「聿選」:『聿修堂医書選』、一九五七年・一九五八年・一九八三年北京・人民衛生出版社鉛印本。

「近世」:『近世漢方医学書集成』、一九七九〜八四年東京・名著出版影印本。

「研究」:『傷寒金匱研究叢書』、一九八八年大阪・オリエント出版社影印本。

○所蔵先名は以下のように略記した。
  国会:国立国会図書館
  国会白井:国立国会図書館白井文庫
  内閣:国立公文書館内閣文庫
  東博:東京国立博物館
  九大:九州大学
  教大:筑波大学
  京大富士川:京都大学富士川文庫
  慶大:慶応義塾大学
  慶大幸田:慶応義塾大学幸田文庫
  慶大斯道:慶応義塾大学斯道文庫
  慶大富士川:慶応義塾大学斯富士川文庫
  早大:早稲田大学
  東大:東京大学
  東大鶚軒:東京大学鶚軒文庫
  東北大狩野:東北大学狩野文庫
  阪大:大阪大学
  新潟大佐野:新潟大学佐野文庫
  四天王寺大恩頼:四天王寺国際仏教大学旧恩頼堂文庫
  刈谷:市立刈谷図書館
  静嘉:静嘉堂文庫
  無窮織田:無窮会織田文庫
  無窮神習:無窮会神習文庫
  無窮平沼:無窮会平沼文庫
  乾々:乾々齋文庫。
  杏雨:武田科学振興財団杏雨書屋
  葵:静岡県立中央図書館葵文庫
  宮城小西:宮城県図書館小西文庫
  岩瀬:西尾市立図書館岩瀬文庫
  尊経:前田育徳会尊経閣文庫
  茶図成簣:お茶の水図書館成簣堂文庫
  ★★:★★書屋
  大東急:大東急記念文庫
  研医会:研医会図書館
  神宮:神宮文庫
  台北故宮:台北国立故宮博物院図書館
  中医研:北京・中国中医研究院
 

三、著述一覧

  (1)自著・共著

1『裹鮓編』一冊。
  自筆稿が多紀崇徳氏蔵書にあったが戦災で焼失。

2『奇方続編』一冊。
  自筆未完稿が多紀崇徳氏蔵書にあったが戦災で焼失。

3『金匱玉函要略述義』天保十三年(一八四二)自序、嘉永七年(一八五四)跋。
  写本は昭和四十三年(一九六八)東京古典会で自筆稿を売り出し、嘉永五年(一八五二)写三巻一冊が国会白井、三巻二冊が静嘉、嘉永七年(一八五四)写一冊が東博、二冊が乾々にある。
  刊本は嘉永七年版、「聿修」本、「皇漢」本、「聿選」本、「近世」本がある。

4『金匱要略広要』一〇冊。
  本朝医家著述目録による。

5『奚暇斎随筆』五巻二冊。文政三〜七年(一八二〇〜二四)成立。
  写本が東大鶚軒と乾々、文政写巻一〜三・一冊が研医会にある。

6『経籍訪古志』多紀元堅・森立之・渋江全善・小島尚真・堀川済・海保元備著。安政三年(一八五六)海保元備序。
  写本は安田文庫に初稿があった。森立之・渋江全善・小島尚真写の安政二年(一八五五)第三次稿四巻一冊が大東急、第四次稿八巻三冊が国会、八巻三冊が大東急、六巻補遺一巻三冊が静嘉、三冊が東大、医家類を付す二巻二冊が杏雨にある。
  刊本は光緒十一年(一八八五)鉛印六巻補遺二巻八冊本、大正五年(一九一六)東京・国書刊行会鉛印『解題叢書』本、昭和十年(一九三五)東京・日本書誌学会影印初稿本、「近世」本がある。

7『雑病広要』四〇冊。
  写本は自筆稿三九冊が慶大富士川、嘉永六年(一八五三)森友信之写・安政二〜三年(一八五五〜五六)鈴木孚朱筆批校三三巻が北京・中医研究院、三七冊が東博、三〇巻三〇冊が東北大狩野、巻七・一冊が東大にある。
  刊本は安政三年版三〇巻三〇冊、慶応二年(一八六六)版四〇巻二〇冊、大正十二年(一九二三)鉛印『医聖堂叢書』本(精神疾患部分)、昭和四十五年(一九七〇)京都・思文閣復刻『医聖堂叢書』本(精神疾患部分)、「聿選」本、「近世」本がある。

8『雑病名医彙論』四巻二冊。
  写本が京大富士川にある。31『名医彙論』を参照せよ。
  なお多紀元簡『名医雑病彙論』は自筆稿本二冊が佐賀・野中萬太郎氏蔵書、刊本は大正十二年(一九二三)鉛印『医聖堂叢書』本、昭和四十五年(一九七〇)京都・思文閣復刻『医聖堂叢書』本にある。

9『時還読我書』二巻続録一巻三冊。
  写本は天保十一(一八四〇)写一冊が東博、嘉永元年(一八四八)写二巻二冊が慶大幸田、三巻三冊と嘉永六年(一八五三)写二巻一冊が東大、安政三年(一八五六)宮永正純写(時還読我書續録抄)・中村俊英旧藏・合水堂治験抄他と合一冊が研医会、江戸末写一冊が四天王寺大恩頼、森立之写が国会白井、二冊が静嘉、二巻一冊が九大・京大富士川、上巻に時還読我書捷見を付す一冊が慶大斯道、三冊本・一冊本・蘭軒夜話・伊吹艾草考と合一冊本が慶大富士川、一冊本・上巻二部・下巻一冊・二冊本・続録二部・抄本一冊が東大鶚軒、三巻一冊本二部が宮城小西、普救堂叢書本が杏雨、三巻二冊が乾々、二巻一冊が無窮神習、二冊が無窮平沼、ほか無窮織田・岩瀬にある。
  刊本は明治六年(一八七三)佐藤元萇版、大正十五年(一九二六)東京・吐風堂鉛印『杏林叢書』本、昭和四十六(一九七一)京都・思文閣復刻『杏林叢書』本、「近世」本がある。

10『重訂秘府医書目』一冊。
  自筆本が多紀崇徳氏蔵書にあったが戦災で焼失。

11『傷寒広要』一二巻四冊。文政八年(一八二五)成立。
  写本は自筆本が尊経にある。
  刊本は文政十年(一八二七)版、一九二〇年成都・福昌公司鉛印本、一九二八年紹興・六也堂鉛印本、上海・中華書局鉛印本、「皇漢」本、「聿選」本、「近世」本、「研究」本がある。別に一九二四年上海・函授中医学校鉛印ツ鉄樵講義『鉄樵函授中医学校講義十七種』本(傷寒広要講義)一冊、一九二八・一九三一・一九三九年上海・六也堂書薬局鉛印と一九三九年紹興・育新書局鉛印の何廉臣増訂本(新増傷寒広要)一二巻がある。

12『傷寒論国字筆札』五冊。
  写本が乾々にある。

13『傷寒論述義』五巻二冊。文政十年(一八二七)自序。
  写本は昭和六十三年(一九八八)東京古典会で文政十年自筆稿を売り出し、天保九年(一八三八)長尾貞写が杏雨、嘉永四年(一八五一)写が無窮平沼にある。
  刊本は天保九年(一八三八)版、天保一四年(一八四三)版、天保一五年(一八四四)版、嘉永四年(一八五一)版、「聿修」本、一九三一年上海・六也堂書薬局鉛印本、一九三一年紹興・育新書局石印本、一九三五年上海・中医書局鉛印本、「皇漢」本、一九五五年北京・人民衛生出版社鉛印本、「聿選」本、「近世」本がある。

14『傷寒論綜概』一冊。
  写本が京大富士川にある。

15『掌記』三巻一冊。
  写本が九大にある。

16『証治通義』二〇巻。
  日本医学史等による。

17『女科広要』五巻五冊。
  写本は安政六年(一八五九)写が東博、ほか九大・京大富士川にある。
  刊本は明治二八年(一八九五)鉛印『日本産科叢書』本、昭和四六年(一九七一)京都・思文閣復刻『日本産科叢書』本がある。

18『書画蔵目』一冊。
  天保十四年(一八四三)自筆本とこれを自筆整理した『三松斎書画蔵目』一冊が多紀崇徳氏蔵書にあったが、ともに戦災で焼失。

19『触目雑録』一冊。
  自筆本が多紀崇徳氏蔵書にあったが戦災で焼失。

20『診病奇{イ+亥}』二巻一冊。天保一四年(一八四三)成立。
  写本は五雲子腹診法を付す自筆と臓腑部位を付す慶応二年(一八六六)源信実写が東北大狩野、江戸末期写が東博、津山義直写一冊が国会、五雲子腹診法を付す二冊本・二部が京大富士川、五雲子腹診法を付す二冊が東大鶚軒、五雲子腹診法を付す本が無窮神習、二部が東大、ほか九大・早大・乾々にある。
  刊本は松井操漢訳本に光緒十四年(一八八八)王仁乾鉛印本、一九三一年蘇州・国医書社鉛印王氏医学叢書本(診断学講義)、一九三五年台湾・漢医薬研究室鉛印本(診腹学講義)がある。和文本に昭和十年(一九三五)東京・石原保秀鉛印本、昭和五十年(一九七五)横須賀・医道の日本社復刻本がある。また昭和六十一年(一九八六)大阪・オリエント出版社影印『日本漢方腹診叢書』正・続に写本・王仁乾鉛印本・石原保秀鉛印本がある。

21『診腹要訣』一冊。
  写本が京大富士川にある。

22『水腫加言』一冊。
  写本が京大富士川にある。

23『水腫脚気異同辨』
  写本が慶大富士川の『乙巳随筆』にある。

24『素問参楊』四冊。
  写本は天保一四年(一八四三)写が京大富士川にある。
  刊本は昭和六十三年(一九八八)大阪・オリエント出版社影印『続黄帝内経古注選集』本にある。

25『素問紹識』四巻四冊。弘化三年(一八四六)自序。
  写本は自筆稿一冊が杏雨、渋江全善・小島尚真・小島尚質・堀川済の弘化三年稿本四巻二冊が石原明氏旧蔵書、稿本が阪大、四巻二冊精写が研医会、嘉永四年(一八五一)小菅翼写四巻一冊が台北故宮、四巻二冊が静嘉・九大・京大富士川・台北故宮、四巻一冊が東北大狩野・乾々、四冊が東大鶚軒・新潟大佐野、二冊が東大、一冊が東大鶚軒、また早大にある。
  刊本は「皇漢」本、昭和六十年(一九八五)大阪・オリエント出版社影印『黄帝内経古注選集』本にある。

26『存誠薬室未藏書目』一冊。嘉永五年(一八五二)成立。
  安政七年(一八六〇)自筆稿が国会にある。

27『丹波元堅集』一冊。
  自筆写本が乾々にある。

28『勤向覚書』一冊。
  自筆稿が多紀崇徳氏蔵書にあったが戦災で焼失。

29『日光御供諸事留(日光御参詣之節奥御医師留)』四巻四冊。天保十四年(一八四三)成立。
  写本が東北大狩野にある。

30『無改斎随筆』一冊。
  写本が慶大にある。

31『名医彙論』八〇巻。本朝医家著述目録による。
  昭和四十三年(一九六八)東京古典会で自筆稿が売り出された。別に零本八冊が多紀崇徳氏蔵書にあったが戦災で焼失。 8『雑病名医彙論』を参照せよ。

32『薬治通義』一二巻五冊。天保七年(一八三六)自序。
  写本は昭和四十三年(一九六八)東京古典会で自筆稿を売り出し、一二巻五冊読過朱入手校本が研医会にある。
  刊本は天保十年(一八三九)版、「聿修」本、一九三三・一九三四年上海・中医書局鉛印本、一九三五年上海・千頃堂鉛印本、「皇漢」本、「近世」本がある。別に一九一三・一九二三年成都・存古書局版・廖平『六訳館叢書・医類』本(薬治通義輯要)がある。

  (2)関連書

1『聿修堂読書記』一冊。多紀元簡校勘、元胤・元堅校録。
  文政十一年(一八二八)写本が杏雨、嘉永二年(一八四九)写本が九大にある。

2『金匱要略方論二劉合注』二冊。多紀元胤著、多紀元堅注。
  写本は早大と杏雨にある。
  刊本は「研究」本がある。

3『広傷寒論類方』二〇巻一七冊。喜多村直寛著、多紀元堅閲。
  弘化四年(一八四七)直寛自筆本が東北大狩野にある。

4『存誠薬室医書目』一冊。
  門弟、小河翹・河端進編写本が多紀崇徳氏蔵書にあったが戦災で焼失。

5『存誠薬室蔵儒書目』一冊。
  慶応元年(一八六五)森約之写本が国会にある。

6『存誠薬室蔵書目録』一冊。石川隆編?。
 写本が東大鶚軒にある。

7『存誠薬室方函(存誠薬室日用方函)』一冊。
  万延元年(一八六〇)写本が東博、二部が研医会・温知堂矢数文庫、ほか写本が九大・教大・慶大にある。

8『存誠薬室本邦医書目』一冊。森立之編、慶応元年(一八六五)成立。
  森約之写本が国会、ほか写本が杏雨・乾々にある。

9『登門録(存誠薬室弟子記)』三巻三冊。
  稿本が多紀崇徳氏蔵書にあったが戦災で焼失。その一部が温知堂矢数文庫の深川晨堂昭和初編写『著名医家門類編』の「多紀元堅門」三冊にあり、『漢方の臨床』四二巻一〇号(一九九五)に全文を掲載。

10『扁鵲倉公伝彙攷』一冊。多紀元簡著、元胤補、元堅付按。文化七年(一八一〇)成立。
  写本は元堅自筆初稿全一冊と元堅手校再稿下巻一冊が小曽戸洋氏蔵書、二部が東大鶚軒、ほか国会白井・静嘉・東博・京大富士川・東北大狩野・杏雨・★★・研医会にある。
  刊本二巻は『影宋本史記扁鵲倉公伝』一巻・堀川済『影宋本扁鵲倉公伝攷異』『扁鵲伝備参』各一巻と合刻の嘉永二年(一八四九)版がある。

11『保嬰須知(医学質験保嬰須知)』二巻二冊。片倉鶴陵著、多紀元堅閲。嘉永元年(一八四八)成立。
 写本は一冊が東北大狩野と神宮にある。刊本は嘉永元年版、「近世」本、昭和六十一年(一九八六)東京・名著出版影印『近世漢方治験選集』本がある。

12『櫟蔭先生遺説』二巻一冊。多紀元簡著、元堅編。文化十一年(一八一四)成立。
 編者自筆本が茶図成簣、写本が乾々に二部、国会に二冊、ほか国会白井・九大・京大富士川・早大・東大・東大鶚軒・東北大狩野・★★にある。
 

四、まとめ

  本整理結果を簡単に集計してみよう。

  元堅の自著・共著とみなされたのは三二書あり、うち存否不詳は八書だった。現存二四書は一〇書について自筆本ないし稿本があった。また一一書に日本版、うち八書には中国版もあった。全書の版本総数は日本版が三〇種以上、中国版が四〇種以上だった。

  元堅関連の書は一二あり、うち存否不詳は一書。現存一一書には二書について自筆本があった。また四書について日本版が六種あったが、中国版はなかった。

 以上をまとめると、元堅の現存著述類は計三五書あり、うち半数弱の一五書が刊本となっている。さらに刊本となった一五書のうち、七書については江戸時代に計一一回の刊行がなされていた。

  このように元堅の書は、すでに著述当時から研究書として高い出版需要があった。それが百数十年後の現在も継続している。事情は中国でも同じだった。元堅の学問がかくも時代と国境をこえてきたのは、きわめて高水準かつ普遍的であるからにとどまらない。研究目的そのものが伝統医学の王道に則っているからである。今、これに学ばなければならないと思う。
 

文献と注

(1) 森潤三郎『多紀氏の事蹟』、京都・思文閣出版再版、一九八五年。

(2) 岡西為人「考証学派の医書校刊」『漢方の臨床』九巻一一・一二号三三六〜三五七頁、一九六二年。

(3) 矢数道明『近世漢方医学史』三一一〜三二六頁、東京・名著出版、一九八二年。

(4) 国書研究室『補訂版国書総目録』、東京・岩波書店、一九八九年。

(5) 国文学研究資料館『古典籍総合目録』、東京・岩波書店、一九九〇年。

(6) 叢書収録本は北里大学白金図書館の蔵書、および文献(8) により調査した。

(7) 個人蔵書のうち、多紀崇徳氏蔵書は文献(1) 、東京古典会の売り出しは各年度の東京古典会『古典籍下見展観大入札会目録』の記録、他はすべて実見したものによった。

(8) 中国大陸の蔵書は中医研究院・北京図書館『中医図書聯合目録』(北京図書館、一九六一)、および中国中医研究院図書館『全国中医図書聯合目録』(北京・中医古籍出版社、一九九一)によった。

(9) 台湾の蔵書は国立中央図書館『台湾公蔵善本書目人名索引』(台北・国立中央図書館、一九七二)、および国立故宮博物院『国立故宮博物院善本旧籍総目』(台北・国立故宮博物院、一九八三)によった。

(郭秀梅:長春中医学院医古文教研室/順天堂大・医学部医史学研究室/北里研・東医研医史学研究部、真柳誠:北里研・東医研医史学研究部)