真柳誠「古医籍電子テキストの現状と方向性(第50回日本東洋医学会学術総会ワークショップ
−東洋医学と情報処理−)」『日本東洋医学雑誌』50巻3号393-404頁、1999.11

3.古医籍電子テキストの現状と方向性(図版省略)

真柳 誠
茨城大学人文学部・北里研究所東洋医学総合研究所医史学研究部

 私自身コンピュータとインターネットを正式に始めてまだ3年ほどの経験しかありませんが、それらにある程度習熟したところ、電子テキストによる全文の文字・字句の検索と、その利用が容易かつ即座できることに大変驚きました。古典籍研究のもっとも基礎作業であり、かつて大変な労力を要した索引作成から解放されたばかりでなく、より多面的な検索利用まで可能となったからです。その学問的波及効果は計り知れないと感じました。

 漢字文化圏の古医籍についても、ここ数年で東アジアの動きが急速化している情況を昨年の本学会で猪飼氏らが発表しています。一方、かつて電子テキスト化で問題とされたのは使用できる漢字の制限、および漢字にふられた番号が各国で異なるため、国境を越えた利用が困難なことでした。しかし最近は大きな問題がない範囲で解決可能となりつつあるようです。とはいえ、古典籍を対象とするなら考慮しなければならない問題もまだ少なからずあります。まずインターネットで公開されている古医籍電子テキストの現状を紹介し、いくつかの問題を考えてみました。

 これ(図1)は日本内経医学会の「中国医学古典テキスト」でhttp://www.harikyu.com/ftp/ols.htmlのサイトで提供されており、ダウンロードできます。底本として最善な明の顧従徳倣宋版『素問』、明の無名氏倣宋版『霊枢』、日本古写本『難経集注』、明の趙開美倣宋版『傷寒論』、元のトウ珍版『金匱要略』、森立之復元の『神農本草経』、南宋版『史記』の「扁鵲倉公伝」を使用しているため、内容も信頼できます。各々の経文を合わせ約27万字がLHAで圧縮されています。また上記テキストで不足する文字を表示するWindows98, 95, 3.1 MS-DOS対応の東洋医学用外字もダウンロードできます。これを現在、世界中の研究者が利用するようになったため、台湾・香港・大陸ではこの7書のデータベースや索引を新たに作成・公開することはなくなっています。

 北陸大学薬学部東洋医薬学教室http://www.hokuriku-u.ac.jp/yakugaku/touyou/touyou.htmのサイトでは(図2)、JIS以外の様々な漢字を表示できるよう「今昔文字鏡」という外字ソフトも使用し、『傷寒論』の異本として価値のある『太平聖恵方』巻9を忠実に翻字しています。宋版を底本とし、また文字化けへの注記もあり、信頼できる内容です。明趙開美本『宋板傷寒論』、元版『金匱要略』、清版『金匱玉函経』、また『脈経』『千金翼方』も公開の予定といい、あるいは今現在すでにアップロードされているかも知れません。

 皇漢堂林薬局のサイト(図3)http://www.ff.iij4u.or.jp/~koukando/DETA.htmでは『難経』『傷寒論』『金匱要略』のTrue Type外字版テキストファイルがダウンロードできます。

また三牧ファミリー薬局のサイトhttp://kbic.ardour.co.jp/~g-mimaki/odaim.htmlでは尾台榕堂 『方伎雑誌』の口語訳を公開しています。このほか、ニフティの漢方フォーラムなどにもありますが、時間の都合で省略させていただきます。

 次に台湾のサイトです(図4)。中央研究院歴史語言研究所の文物図象研究室「簡帛金石資料庫」(Big5コード)http://saturn.ihp.sinica.edu.tw/~wenwu/ww.htmでは中国出土文献41種の全文と44種の書名が検索可能です。いずれも使用底本が明記されており、医学関連では「馬王堆医書」「武威漢代医簡」「脈書」「張家山漢簡引書」などがあります。

 台湾の「電子中医薬古籍文献(TCMET)」(図5)(Big5)のサイトhttp://www.tcmet.com.tw/king/では、「黄帝内経」「金元四大家」「景岳全書」の検索やダウンロードができます。ただし使用底本の表示がなく、「黄帝内経」「金元四大家」については相当問題がありそうです。

 台湾の「中医網路図書館」http://www.sino-medicine.com/dbase/dbsh00.htm(図6)では典籍全文検索シリーズとして今は現代著作を公開しています。また、次のスライドの古典籍も公開予定と書いてあります。

 この「中医網路図書館」が公開を予定している中国医学古典籍は、『甲乙経』『千金要方』『千金翼方』『外台秘要』『和剤局方』『新刊黄帝明堂灸経』『東垣医書』『丹渓心法』『雷公炮製』『景岳全書』『万病回春』『女科準縄』『奇效良方』『本草従新』『本草備要』『温病条弁』『本草求真』『医宗金鑑』『陳修園医書』『傅青主女科』(図7)です。ただしここで予告している書名にすら間違いがあり、使用底本や翻字には相当の不安があります。

 一方、中国大陸のWebサイトでは現在のところ公開している古医籍はないようですが、CD-ROM版が販売され始めています。私が入手したのは中国中医研究院の中医薬信息研究所が作成した「中華中医薬文献光盤庫」というシリーズで、MS-DOSの上で木版本を画像として見れるようになっています。一枚は20元(約300円)で、全52巻の『本草綱目』まで含み約20書ほどが収められています。ただし善本を使用とうたっていますが、劣悪な版本が多く、なかには台湾の出版物からの海賊版までも入っています。

 そこで、こうした古医籍を電子テキスト化する際、考慮すべき点を考えてみました(図8)。

  第1には、電子テキスト化する際の底本選択
  第2には漢字自体の問題
  第3には漢文文献の問題を挙げることができるでしょう。

 まず第1の電子テキスト化する際の底本選択です(図9)。

 誤字や脱文などが多々ある通行の活字本をスキャナーで読みとってをテキスト化したり、劣悪な版本を画像としてCD-ROMなどに入れても、その利用結果に一切信用がおけないのは当然のことです。版本書誌学がまず前提で、その検討なしで通行本を使用したり、底本が不明の電子テキストなどはとうてい研究に使用できないということにつきます。

 では今後、医学古典籍を電子テキスト化するなら、どのような底本が使用されるべきか、私たちのこれまでの検討結果を紹介いたします(図10)。なお『素問』『霊枢』『難経』『傷寒論』『金匱要略』『神農本草経』については、最初に紹介しました日本内経医学会のものが最善です。

 また『明堂経』も日本内経医学会復元編集本がベスト、さらに『太素』は仁和寺本、『針灸甲乙経』は明・『医統正脈全書』本、『金匱玉函経』は清・陳世傑本、『脈経』は明・何大任倣宋本、『備急肘後方』は明・正統道蔵本、『諸病源候論』は南宋版、『千金方』は南宋版が底本とされるべきです。

 これは仁和寺本の国宝『太素』(図11)で、『東洋医学善本叢書』に影印本が収められています。

 これは明・『医統正脈全書』本の『針灸甲乙経』(図12)で、北京の人民衛生出版社から影印本がが出ています。

 これは清・陳世傑本の『金匱玉函経』(図13)で、東京の燎原書店と北京の人民衛生出版社から出ています。

 これは明・何大任倣宋本の『脈経』(図14)で、『東洋医学善本叢書』に影印本が収められています。

 これは明・正統道蔵本の『肘後備急方』(図15)で、北京の人民衛生出版社から影印本がが出ています。

 これは南宋版の『諸病源候論』(図16)で、『東洋医学善本叢書』に影印本が収められています。
 これは、南宋版『千金方』を江戸医学館が模刻したもの(図17)で、北京の人民衛生出版社から影印本が出ています。また南宋版『千金方』そのものは、『東洋医学善本叢書』に影印本が収められています。

 さらに電子テキストすべき医学古典籍の底本には(図18)、『(真本)千金方』:宮内庁蔵古写本、『孫真人千金方』:南宋版、『千金翼方』:元版、『外台秘要方』:南宋版、『医心方』:半井本、『和剤局方』:南宋版、『注解傷寒論』:江戸医学館倣元版、『近世漢方医学書集成』収録本などがあります。

 これは古写本の『(真本)千金方』(いま宮内庁蔵)を江戸医学館の多紀氏が模刻し、それを影印出版したもの(図19)です。

 これは南宋版の『新彫孫真人千金方』(図20)で、いま東京の静嘉堂文庫にあります。

 これは江戸医学館が元版『千金翼方』を模刻したもので、北京の人民衛生出版社から影印本(図21)が出ています。また元版『千金翼方』そのものは、『東洋医学善本叢書』に影印本が収められています。

 これは南宋版『外台秘要方』(図22)で、『東洋医学善本叢書』に影印本が収められています。

 これは国宝の半井本『医心方』を江戸医学館が模刻したもの(図23)で、日本・中国・台湾から影印本が出ています。また半井本『医心方』自体は『東洋医学善本叢書』に影印本が収められています。

 これは宮内庁にある南宋版『和剤局方』(図24)で、全揃いではないため確かまだ影印出版されていないはずですが、『和剤局方』の底本として第一に使用されるべき版本です。

 これは江戸医学館が元版を模刻した『注解傷寒論』で、『和刻本漢籍医書集成』に影印本(図25)が収められています。元版そのものは最早、全揃いで現存しないため、これが最も優れた版本となっています。

 さて、こうした古医籍を電子テキスト化する際、考慮すべき第2は漢字自体の問題です(図26)。古典籍は使用漢字に規定がない時代のものなので、版本であろうと写本であろうと別字・略字・異体字が、正字つまり旧字体と混在しています。また正字の規定も日本・中国・台湾・韓国で微妙に異なっています。一方、現日本の常用漢字・人名用漢字のうち新字体はすなわち略字・異体字や別字であるうえ、電子化に使用するJIS漢字には常用漢字・人名用漢字にもない独自の略字(異体字)が少なからずあります。

 日本での理想的処理は漢字一切を正字に改める方法ですが(図27)、誤字・別字・同字と俗字・略字・異体字・正字の関係は複雑でして、相当にむずかしい判断を一つ一つの文字・字句について繰り返し、一定の原則を確立した上で入力しなければなりません。便法は原則としてJIS漢字に改め、JIS漢字にない字のみ正字を使用する方法でしょうがが、やはり漢字に通暁した人間が終始関与しなければクリアーできない問題が多々出現します。

 第3は漢文文献の場合です(図28)。現段階で一二点やレ点を混在させた電子テキストは非現実的なので、少なくとも句読点がないと電子テキストが厖大な量になる将来、迅速で有意義な利用に支障をきたすことになると予測されます。日本の漢文著作はおおむね一二点や句読点があるので大きな問題はありませんが、白文の中国文献とくに古典に句読点を打つには相当な読解力が要求されることは言うまでもありません。
 
 それでは、古医籍電子テキストの方向性はどうあるべきなのか、私の個人的な見解ではありますが、スライド(図29)にまとめてみました。

 まず古医籍電子テキストとはいっても、写本・木版本を電子文字、つまり一種の活字に置き換えるという点では、過去の出版物と本質は同じです。この第一段階をおろそかにすると、電子テキストではあっても全く使用に耐えないものになってしまうのですが、まだ伝統医学分野では十分に認識が進んでおりません。

 一方、電子テキストは複写・複製が容易です。したがって利便な形で公開されれば、世界中に一気に普及します。そこで「悪貨が良貨を駆逐する」であってはならないわけですが、電子テキストこそ逆に「良貨が悪貨を駆逐する」が可能であり、今はこれを目指す時代であるべきと考えております。

 いまインターネット等で公開されている古医籍の電子テキストのうち、上述の問題がほぼ解決されているのは日本内経医学会の小林氏による『素問』『霊枢』『神農本草経』『傷寒論』『金匱要略』しか見当りません。それゆえ、これらを除く中国古医籍の電子テキスト化が台湾などで進められています。しかし先に紹介した日本で最善本が利用可能な『脈経』『千金方』『千金翼方』『外台秘要方』『医心方』『和剤局方』などについては、各国共同の電子テキスト化と公開を日本が率先して提唱すべきではないでしょうか。むろんスライドに掲げました日本の『近世漢方医学書集成』収録書(図30)についても、そろそろ大規模プロジェクトを計画すべきでしょう。

 なおコンピュータで漢字・漢文をどう処理するかについては、最近スライドのような書(図31)が出版され、ウィンドウズについてもマッキントッシュについても分かりやすく説明されております。

 この本(図32)も同様のものですが、ウィンドウズについてより高度な方法などが詳しく説明されております。いま中国学の世界では『二十五史』『十三経』『四書五経』などのデータベースが完成して無料公開されており、さらに『四庫全書』『大正新修大蔵経』などが台湾と中国大陸、台湾と日本などの共同で構築されつつあります。電子テキストと版本書誌について細かく議論している書はありませんが、これらプロジェクトでは自明のこととして実行されています。

 今回お話させていただいたことはあくまで私の個人的意見ないし感想ですが、電子テキストといっても古医籍が対象なら、やはり版本書誌学・漢字学などの伝統的学問が必須であることを述べたかっただけです。以上で拙い話を終わります。

−以下「総合討論」省略−

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