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真柳誠「浅田宗伯の著述とその所在」『漢方の臨床』37巻9号1055-1062頁、1990年9月、2018/03/09修補

浅田宗伯の著述とその所在

真柳 誠


 浅田宗伯の著述は多い。弘化二年(一八四五)刊の『傷寒弁術』巻末には門人編の「栗園先生著述目録」があり、当時三十一歳の宗伯に三十四部百七巻の著述のあったことがわかる。それを最晩年まで持続したのであるから厖大な量に上っていた。しかも門人も多いので、未刊書でも各種の写本が作られている。

 それらに如何なるものがあり、いつ著述され、どこにあるかを知ることは、宗伯の事跡を把握するのに欠くことができない。これを最も網羅されたのは矢数道明先生の御研究で、計九十二の著述を列挙されている(『近世漢方医学史』三七九頁、東京・名著出版、一九八二)。ただ著述年の手掛かりとなる序や跋の年、あるいは刊行年・筆写年、また所蔵先の多くは紙幅上省略されていた。そこで主にこれらの点を矢数先生の御報告に追加する形式で、本稿を作成することにした。

 しかし手許の公蔵・私蔵の蔵書目録から、倉卒の間にリストアップしたにすぎない。実見したのは矢数先生の御蔵書だけであるから、不備も多々あると思う。とりわけ友人などの書に批注を加えたもの、一枚刷や一篇の論文的なものを著述として数えるのはためらわれたが、一律に各蔵書目録の記載に従うことにした。また写本の場合、目録間で冊数の相違があるものはそれを省き、巻数のみを採ることにした。

 所蔵先の記載は、利用の便から公的図書館を優先させ、見当たらない著述のみ私蔵書を挙げてある。大学図書館は大学の通常略称で記した。また宮内庁書陵部は宮内庁、東京国立博物館は東博、国会図書館は国会、武田科学振興財団杏雨書屋は杏雨と略称。矢数蔵書は温知堂矢数医院の御所蔵書、長谷川蔵書は長谷川弥人先生の御所蔵書、佐賀・野中家蔵書は佐賀市の野中萬太郎氏の御所蔵書である。

 なおすでに復刻されている書は記述をなるべく省き、『近世漢方医学書集成』(東京・名著出版、一九八二〜八三)は「集成」、『浅田宗伯選集』(東京・谷口書店、一九八七)は「選集」と略称した。刊本と称したのはいわゆる木版本で、後刷本はその版木で再度印刷したもの。木活字本は木の活字で印刷したもの、鉛印本は鉛の活字で印刷したものである。

 本稿では一部例外はあるが五十音順に以下の一二三書を記録したが、中には異名同書や付録の一篇、あるいは叢書の一部も各目録に従い一書として挙げてある。したがって実際の書数は一二三よりやや少ないと思う。図版に掲げた書は、復刻されたことのないものを矢数蔵書より使用させていただいた。所在不詳とした書はひとえに筆者の倉卒がなせる業。何卒御容赦願いたい。



1『浅田宗伯書簡集』一冊。五十嵐金三郎編。昭和六十一年(一九八六)汲古書院刊。

2『医学智環』一巻一冊。宗伯口述、門人等筆記。明治十一年(一八七八)の鉛印本が「選集」に収められる。

3『医学典刑』五巻。明治四年(一八七一)序。写本が東大・京大・杏雨にある。

4『医学読書記(規)』一巻一冊。明治八年(一八七五)の写本が「選集」に収められる。明治十六年(一八八三)頃の温知社鉛印本が矢数蔵書にある。

図1            
5『医学弁要』一巻一冊。明治十二年(一八七九)序。写本の後半が「選集」に収められる。

6『医学寮造立願書草稿』一冊。安政六年(一八五九)稿、慶応二年添削の写本が東大にある。

7『医可慎守五十七箇条』一巻。杏雨所蔵の明治六年(一八七三)写本が『栗園叢書』に収められる。

8『医事私語』一冊。写本が東大にある。

9『医門捷径』一冊。写本が京大にある。5の書の異名同本。

10『瘟疫論刊誤』五巻五冊。自筆本が杏雨にある。

11『詠帰堂小集』一冊。円潭者、宗伯編の漢詩集。安政五年(一八五八)の写本が国会にあり、鉛印本が『二禅合集』に収められる。

12『永類館学則課目(黒岩静山薬室規)』一巻一冊。明治二十五(一八九二)の写本が杏雨にある。

13『学晦堂医話』二冊。所在不詳。

14『脚気心得』一冊。宗伯口授、飯塚文郁録。明治十数年頃の鉛印本(図1)が矢数蔵書にあり、中国の『皇漢医学叢書』には『脚気概論』の名で収められる。

15『橘黄年譜』一冊。自筆本が杏雨にあり、大正十三年(一九二四)刊の『杏林叢書』にも収められる。

16『橘窓書影』四巻。明治十九年(一八八六)輔仁社鉛印。「集成」「選集」に収められる。

17『橘窓書影続編』二巻。所在不詳。

18『牛渚偶談』八巻。慶大に二冊および一冊の写本があり、京大所蔵の『脚気集説』に巻二の抜抄が収められる。

図2              
19『牛渚漫録』四巻。明治十四年(一八八一)頃の勿誤薬室鉛印本(図2)が矢数蔵書ほかにある。史論の書。明治九年(一八七六)の今村了庵の序と、第五代清国大使・李経方の題辞、同大使館参賛官・黄遵憲の光緒七年(一八八一)の序(書は楊守敬)がある。

20『続牛渚漫録』一巻一冊。明治二十五年(一八九二)の勿誤薬室鉛印本が矢数蔵書ほかにある。史論の書。明治十四年(一八八一)の中村正直の序があり、清人の劉慶汾が題箋、呂増祥が書名を記している。

21『杏園摘抄』一冊。宗伯と喜多村直温の共著。写本が九大にある。

22『崎陽呑船斎伝授書』一冊。写本が香川大にある。

23『杏林雑話』一巻。安政三年(一八五六)版の『皇国名医伝』、明治六年(一八七三)版の『皇国名医伝前編』に付録。中国の『皇漢医学叢書』と「選集」に収められる。

24『杏林雑話続録』一巻。杏雨に今村了庵の写本があり、「選集」にも写本が収められる。

25『杏林風月』一巻同付録一巻。天保十五年(一八四四)序。写本が早大と杏雨にある。和歌・漢詩の書。

26『杏林風藻』二巻二冊。天保十五年(一八四四)序。写本が長谷川蔵書にある。

27『金匱玉函要略弁正』六巻。写本が東大・東博・杏雨にある。

28『警医記事』一巻。文久元年(一八六一)の自序があり、明治十二年(一八七九)版の『治瘟編』に付録された。「選集」に収められる。

29『原医』一巻。所在不詳。

30『献芹録』一冊。政治の書。写本が東大にある。

31『険証百問』一巻一冊。安政七年(一八六〇)の序と跋がある。吉益南涯・華岡青洲・宗伯の共著。写本が「選集」に収められる。また昭和四十年(一九六五)に医道の日本杜から刊行されている。

32『続険証百問』一冊。安政二年(一八五五)の後記がある。宗伯と尾台椿堂の共著。写本が「選集」に収められる。所在不詳の『険証再問』二冊は31・32の両書のことか。

33『行軍備用』一冊。所在不詳。

34『皇国名医伝(正編、後編)』三巻。嘉永四年(一八五一)自序。同五年の出雲寺文次郎ら刊本と、万延元年(一八六〇)の後刷本がある。「集成」に収められる。

35『皇国名医伝前編』三巻。安政三年(一八五六)の序刊本と明治六年(一八七三)の後刷本がある。中国の『皇漢医学叢書』、および「集成」に収められる。

36『曠日雑記』十五冊。東大に三冊の写本がある。

37『紅潤誌』一巻。宗伯・山田業広・今村了庵の共著。明治十三年(一八八〇)の鉛印本が杏雨にある。

38『後芻言』一巻。明治二十六年(一八九三)自序。同二十八年の鉛印本があり、「選集」に収められる。

39『皇朝医史』二冊。天保五年(一八三四)序。写本が京大にある。

40『皇朝医叢続集』二冊。写本が東大にある。斎藤正路・安井知足の『皇朝医叢』六巻の補足。

41『皇朝医叢続編列伝』一冊。写本が東大にある。

42『御殿診籍』二冊。佐賀の野中家に自筆本がある。

43『鼓腹集』一冊。宗伯門人編の漢詩集。「富士川集」を後付する。明治二十二年(一八八九)頃の鉛印本が矢数蔵書ほかにある。

44『呉鳳集』一冊。明治十三年(一八八〇)鉛印本が慶大にある。

45『古方薬議』五巻。文久三年(一八六三)の序がある。写本が東大・東博・国会・杏雨にあるほか、佐賀の野中家に自筆稿と再稿がある。

46『古方類按』五冊。所在不詳。

47『古呂利考』一巻。明治十三年(一八八〇)刊の『暴瀉須知』に後付。京大・国会・矢数蔵書ほかにある。

48『雑病弁要』二巻。門人・服部子執の『補亡論』一巻を後付。安政三年(一八五六)序刊の木活字本が宮内庁・東博・杏雨・長谷川蔵書にあり、「選集」に収められる。また明治十四年(一八八一)の如春医院鉛印本もある。いずれにも安政三年の喜多村直寛の序文がある。

49『雑病翼方』六巻。明治二年(一八六九)の宗伯の凡例がある。写本が矢数蔵書ほかにあり、「選集」に収められる。

50『雑病論識』六巻。写本が「集成」「選集」に収められる。

51『撮要集』十巻。所在不詳。『群書備考』による。

52『産科集成』三巻。宗伯著、黒岩為寿編。明治三年(一八七〇)自序。同二十八年刊の『日本産科叢書』に収められる。

53『産科集成附録』一巻。所在不詳。

54『三病答弁』八冊。写本が国会にある。

55『袖珍方』三冊。所在不詳。

図3            
56『傷寒雑病弁証』三巻。嘉永六年(一八五三)自序。写本が杏雨と東大ほかにあり、「選集」に収められる。

57『傷寒節用』一冊。天保五年(一八三四)序。写本が東大にある。

58『傷寒吐則』一巻一冊。天保十四年(一八四三)序、嘉永七年(一八五四)跋の刊本があり、「選集」に収められる。

59『傷寒弁術』一巻一冊。天保九年(一八三八)の喜多村直寛の序がある。同年の刊本と弘化二年(一八四五)・同四年の後刷本があり、「選集」に収められる。

60『傷寒弁証』嘉永六年(一八五三)の写本二巻が東大に、文久二年(一八六二)の写本三巻が杏雨にある。

61『傷寒弁要』一巻一冊。明治十四年(一八八一)序の乾誠軒鉛印本があり、「選集」に収められる。

62『傷寒翼方』一巻一冊。書誌は61の書に同。

63『傷寒論記聞』一冊。天保十年(一八三九)の写本が東大にある。

64『傷寒論識』六巻。写本が「集成」「選集」に収められる。

65『小児寿草』一巻一冊。宗伯編集。明治二十年(一八八七)の柴田元春刊本(図3)が矢数蔵書にある。

66『私立病院開設願写』一冊。宗伯ほかの自筆書。明治初の温知社運動の史料。

67『西医指要』の一冊。今村了庵著、宗伯評。明治十(一八七七)序刊本が杏雨・東大・京大富士川ほかにある。

図4            
68『精気神論』一丁。71の内。

69『続精気神論』一丁。所在不祥。

70『先哲医話』二巻。慶応二年(一八六六)序。また清人・張斯桂の光緒四年(一八七八)序と黄遵憲の光緒五年(一八七九)跋がある。明治十三年(一八八〇)の刊本が「集成」「選集」に収められる。

71『澡泉余録』一巻一冊。明治二十三年(一八九○)の鉛印本(図4)が杏雨・矢数蔵書にある。

72『続澡泉余録』一巻一冊。明治二十四年(一八九一)の鉛印本が杏雨・矢数蔵書にある。

73『治瘟編』一巻一冊。安政五年(一八五八)の跋と同六年の序がある。万延元年(一八六〇)頃の出雲寺文治郎ら刊本があり、「選集」に収められる。

74『治瘟編補』一巻一冊。万延元年(一八六〇)の跋があり、72の書と一緒に刊行されている。

75『治瘟編考証』一巻。73の書の付録。

76『治黴活套』一巻。宗伯口授、黒岩為寿編。明治二十一年(一八八八)序の鉛印本『栗園雑纂』(京大富士川ほか蔵)に収められる。

77『治黴活套口授』一冊。京大にある。

78『直舎日抄』一冊。自筆本が東大にある。

79『通俗医法捷径』二巻一冊。光緒十六年(一八九〇)に劉慶汾が題した書名と銭徳培の題辞がある。明治二十三年(一八九〇)鉛印本があり、「選集」に収められる。

80『刀圭漫録』六冊。自筆本が東大にある。

81『刀暇録』五巻。所在不詳。

図5             
82『読書漫録』三冊。自筆本が東大にある。

83『読史間話』二巻二冊。明治二十四年(一八九一)跋刊の鉛印本(図5)が矢数蔵書ほかにある。

84『内科闡微私評』一巻一冊。明治十七年(一八八四)の服部甫庵写本が杏雨にある。『内科闡徴』は清国で翻訳刊行(一八三七)された西洋医書で、明治七年に坪井信良が再訳・刊行している。

85『二禅合集』二巻二冊。宗伯編の医家漢詩集で、上下冊に計四篇を収める。明治十九年(一八八六)の鉛印本が矢数蔵書・長谷川蔵書にある。

86『黴毒懲篇』一巻。宗伯口授、黒岩為寿編。明治二十一年(一八八八)鉛印の『栗園雑纂』に収められる。

87『博済堂脚気提要』一冊。宗伯刪定、岡田昌春・下条通春・高島久也・清川玄道ら纂。明治十二年(一八七九)序、北沢伊八の同年鉛印本が矢数蔵書・長谷川蔵書ほかにある。

            図6
88『馬脾懲篇』一冊。明治十二年(一八七九)識語、下条俊超の同十六年刊本(図6)が矢数蔵書にある。

89『馬脾風』一巻。自筆本が杏雨にある。

90『避瘟法』一巻。『暴瀉須知』の付録として、杏雨ほかにある。

91『勿誤薬室学規』一冊。全十七条。写本が杏雨・矢数蔵書ほかにある。

92『勿誤薬室方函』二巻。明治九年(一八七六)序。同十年鉛印本があり、「集成」に収められる。

93『勿誤薬室方函口訣』。明治十一年(一八七八)に鉛印の二巻本と三巻本がある。「集成」に収められる。

94『扁鵲伝口授』一巻。加藤煕著、宗伯批注。写本が杏雨にある。

95『暴瀉須知』一冊。明治十三年(一八八〇)序、同年刊本(図7)が杏雨・矢数蔵書ほかにある。内容は計三論に分かれる。

図7             
96『方読便覧』一冊。明治九年(一八七六)の写本が「選集」に収められる。

97『麻疹心得続録』一巻。宗伯口授、黒岩為寿編。明治二十一年(一八八八)自序の鉛印本『栗園雑纂』に収められる。『麻疹心得』一巻は多紀元簡の著。

98『脈法私言』一冊。弘化二年(一八四五)の跋がある。嘉永六年(一八五三)刊本があり、明治十四年(一八八一)の輔仁社鉛印本は「集成」「選集」に収められる。

99『薬方沿革論』一巻。今村了庵著、宗伯評。写本が杏雨所蔵の『今村了庵遺稿』に収められる。

100『与今村祇卿論医書』一冊。写本が杏雨にある。

101『瘍科広要』二冊。慶応二年(一八六六)の成立。明治九年(一八七六)の服部甫庵の写本が杏雨にある。

102『養幼新編』一巻。宗伯口授、黒岩為寿編。明治二十一年(一八八八)自序の鉛印本『栗園雑纂』に収められる。

103『栗園医訓五十七則』一巻。16の書に前付。

104『栗園遺稿』五巻。写本が「選集」に収められる。

105『(栗園)一夕話』一冊。明治二十七年(一八九四)の写本、および門人・黒岩為寿の写本が杏雨にある。また長谷川弥人氏の校定注釈本が一九八七年に潟cムラより刊行されている。

106『栗園一夕話続』一冊。門人・黒岩為寿の録写本が杏雨にある。

107『栗園近稿』一冊。所在不詳。

108『栗園雑纂』二巻二冊。宗伯口授、黒岩為寿編。明治二十一年(一八八八)自序。同年頃の鉛印本が、東大・矢数蔵書・長谷川蔵書ほかにある。全体は76・86・97・102の四書からなる。

109『栗園雑抄』一冊。自筆本が東大にある。

110『栗園先生詩存』二巻二冊。宗伯撰、三浦宗春ら編。明治九年(一八七六)に序・跋の刊本が矢数蔵書と長谷川蔵書にある。

111『続栗園詩存』。写本一冊が国会鶚軒にある。

112『栗園叢書』。写本六冊が東大に、写本一冊が杏雨にある。

113『栗園存稿』。写本二冊が国会鶚軒にある。

114『栗園摘抄』一冊。写本が東大にある。

115『栗園賸稿』三巻三冊。明治十年(一八七七)の服部甫庵写本が杏雨にある。

116『栗園文存』二冊。国会鶚軒にある。

117『栗園漫録』一冊。自筆本が東大にある。

118『栗園余草』四冊。国会鶚軒にある。

119『栗園余草詩』二冊。国会鶚軒にある。

120『栗園録稿並掌記』七冊。自筆本が東大にある。

121『流行感冒説」一巻。『医林新誌』の抜粋で、杏雨にある。

122『流行病救法』一枚。所在不詳。

123『論医』一巻。浅田惟精の『衆疢一寒説』一冊に収められた写本が東大にある。

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